おばさんも奥様

ネガティブな季節だよ

奥様は魔女の放送(テレ東)開始が今年の1月29日。
ありがたやハード録画、おかげで見逃さないのだがまさか全編で200話を超えるほどのボリュームとは予想しなかった。
子どもの頃、母がこの番組を好きで見ていたので自分にも楽しい思い出。
と、思っていたが記憶が美化されすぎていた部分もあり。
それでこそ200話を超えるエピソードが成立しえた、とはいえ旦那(ダーリンさん)が怒りすぎ、なりゆき上仕方ないとはいえ、サマンサさんが魔女である、という部分にさえ怒る日があるのが理不尽、もう怒るのが目的で怒っているかんじなときもあり、見ていて辛いときがある。
同じこと何度もしつこい、細かいことガミガミうるさい。
200話もみといてしょうもないことしかいえない自分が悲しいのですが
ケコン生活とは、かように、異文化と異文化のぶつかりあいせめぎあい、というのを「人間界対魔女界」というメタファーで示したのだな、と今更ながらに。
子どもの頃、うちの父親が、このドラマみている母親にむかって「サマンサのママって、きみんちのママみたい」と発言してプチ問題になったことがあったのだが、ヘラヘラしながらこんな発言ができるうちはまだ健康というものだ。
話題にさえできなくなったときが本当のピンチ。
ピンチはチャンスとかいってるうちはまだ本当にピンチじゃないんだよ?
そんなことはいいのだが、番組の名物ともいえる、隣の家を覗きしまくっているうるさいおばさん、が記憶の8倍うざい。
見たいものは見る、言いたいことは言う、入りたい場所にははいる(家のなかズカズカはいってくる、許可をとらずに2Fまで自由に出入り)、そして言いふらし、である。
これもひどいのだが、「ちょっとあんたぁ〜」とおばさんから逐一「今みた不思議なこと」の報告を受けるおばさんの旦那(いつも家で新聞読んでる)のセリフがひどい。
こんな風だ。
おばさん:クリスマスだから、街を綺麗にしましょうってみんなに呼びかけたんだけどみんな賛成してくれたはずなのに、クリスマスの飾りつけをした家がまだない

おじさん:綺麗にしたいならまずお前が街からでていくといい

おばさん:あんた、言っていいことと悪いことがあるんだから

おじさん:いていい人と悪い人があるんだから。

おばさん:ちょっとあんたぁー!

おじさん:ふん!

↑ひどい。いつもこんな調子。
おばさんがあんなおばさんになったのはおじさんのせい、もしくはおじさんをこんな風にしたのはおばさんのせい、二人はもう煮詰まっていて進むことも引き返すこともできないかんじだ。どんなポジティブな話題にもネガティブな返答しかかえってこない。
うざいおばさんがやりこめられるともっと胸がすくかと思いきや、旦那がこんな風だからおばさんが近所迷惑するんだろう、と逆に思ってしまう。
このやりとりを、子どものとき面白がれたのがまるで嘘のように、今は凍りつくばかりの自分だ。
わたし、歳をとったのね。

かわらずいけてるのはOF。
サマンサもエンドラもタバサもいい!
家にいるときも綺麗にしていて素敵だ。
あと、まさにブライスな時代の映像なため、デパートおもちゃ売り場のシーンは息をとめてみている。どっかにブライスがまぎれこんでいてもおかしくない。
いまんとこブラはでてきていないけど、かわいい人形がたまにでてくる。
売り場の映像はヴィンテージの山なわけだ。贅沢ー。
行きたいなー1970年代のおもちゃ売り場。
もう、帰れないんだな、って思ったら胸がいっぱいになる。
気晴らしにみようとしていたのにシビアな気分になることが多いドラマだ!
一話ごとにクオリティーを保っているのはさすが長寿シリーズ化した名作。
もっとゆっくり鑑賞しようとしていたけど、月金で毎日放送だから消化作業化してしまうのがもったいない。



手帳と別に、月を見通す用のカレンダーとしてコクヨキャンパスのダイアリーをチョイス。
A6サイズ。
ちょいカスタマイズしながら使う予定。
私は月曜始まりが使いやすいんだけど、なかなかなくて困るー
でもコクヨはなぜか月曜開始。学生用だから?
本屋にたくさん能率手帳が積んであったけど、なにゆえ名前を「ノルティー」にするのだ?
かちょわるいしわかりにくい。
能率の名がすたる、とおもった。非能率な名前変更反対だ!