おばさんも奥様

ネガティブな季節だよ

奥様は魔女の放送(テレ東)開始が今年の1月29日。
ありがたやハード録画、おかげで見逃さないのだがまさか全編で200話を超えるほどのボリュームとは予想しなかった。
子どもの頃、母がこの番組を好きで見ていたので自分にも楽しい思い出。
と、思っていたが記憶が美化されすぎていた部分もあり。
それでこそ200話を超えるエピソードが成立しえた、とはいえ旦那(ダーリンさん)が怒りすぎ、なりゆき上仕方ないとはいえ、サマンサさんが魔女である、という部分にさえ怒る日があるのが理不尽、もう怒るのが目的で怒っているかんじなときもあり、見ていて辛いときがある。
同じこと何度もしつこい、細かいことガミガミうるさい。
200話もみといてしょうもないことしかいえない自分が悲しいのですが
ケコン生活とは、かように、異文化と異文化のぶつかりあいせめぎあい、というのを「人間界対魔女界」というメタファーで示したのだな、と今更ながらに。
子どもの頃、うちの父親が、このドラマみている母親にむかって「サマンサのママって、きみんちのママみたい」と発言してプチ問題になったことがあったのだが、ヘラヘラしながらこんな発言ができるうちはまだ健康というものだ。
話題にさえできなくなったときが本当のピンチ。
ピンチはチャンスとかいってるうちはまだ本当にピンチじゃないんだよ?
そんなことはいいのだが、番組の名物ともいえる、隣の家を覗きしまくっているうるさいおばさん、が記憶の8倍うざい。
見たいものは見る、言いたいことは言う、入りたい場所にははいる(家のなかズカズカはいってくる、許可をとらずに2Fまで自由に出入り)、そして言いふらし、である。
これもひどいのだが、「ちょっとあんたぁ〜」とおばさんから逐一「今みた不思議なこと」の報告を受けるおばさんの旦那(いつも家で新聞読んでる)のセリフがひどい。
こんな風だ。
おばさん:クリスマスだから、街を綺麗にしましょうってみんなに呼びかけたんだけどみんな賛成してくれたはずなのに、クリスマスの飾りつけをした家がまだない

おじさん:綺麗にしたいならまずお前が街からでていくといい

おばさん:あんた、言っていいことと悪いことがあるんだから

おじさん:いていい人と悪い人があるんだから。

おばさん:ちょっとあんたぁー!

おじさん:ふん!

↑ひどい。いつもこんな調子。
おばさんがあんなおばさんになったのはおじさんのせい、もしくはおじさんをこんな風にしたのはおばさんのせい、二人はもう煮詰まっていて進むことも引き返すこともできないかんじだ。どんなポジティブな話題にもネガティブな返答しかかえってこない。
うざいおばさんがやりこめられるともっと胸がすくかと思いきや、旦那がこんな風だからおばさんが近所迷惑するんだろう、と逆に思ってしまう。
このやりとりを、子どものとき面白がれたのがまるで嘘のように、今は凍りつくばかりの自分だ。
わたし、歳をとったのね。

かわらずいけてるのはOF。
サマンサもエンドラもタバサもいい!
家にいるときも綺麗にしていて素敵だ。
あと、まさにブライスな時代の映像なため、デパートおもちゃ売り場のシーンは息をとめてみている。どっかにブライスがまぎれこんでいてもおかしくない。
いまんとこブラはでてきていないけど、かわいい人形がたまにでてくる。
売り場の映像はヴィンテージの山なわけだ。贅沢ー。
行きたいなー1970年代のおもちゃ売り場。
もう、帰れないんだな、って思ったら胸がいっぱいになる。
気晴らしにみようとしていたのにシビアな気分になることが多いドラマだ!
一話ごとにクオリティーを保っているのはさすが長寿シリーズ化した名作。
もっとゆっくり鑑賞しようとしていたけど、月金で毎日放送だから消化作業化してしまうのがもったいない。



手帳と別に、月を見通す用のカレンダーとしてコクヨキャンパスのダイアリーをチョイス。
A6サイズ。
ちょいカスタマイズしながら使う予定。
私は月曜始まりが使いやすいんだけど、なかなかなくて困るー
でもコクヨはなぜか月曜開始。学生用だから?
本屋にたくさん能率手帳が積んであったけど、なにゆえ名前を「ノルティー」にするのだ?
かちょわるいしわかりにくい。
能率の名がすたる、とおもった。非能率な名前変更反対だ!

ダストボックスぅー

もうコートきちゃった

立て続けにユアンの映画みたのでたわむれにカウントしてみた、私の「ユアン率」。
2013までに49本(うち、日本未公開5)の映画にでているユアン、私の見ている率は48.9%。
ユアンの映画みて、可も無く不可も無いと思ったことはあったけど、決定的に、徹底的に「これははずれだ!」と思ったことがない。
単にユアンのワンフだからそう思うのだろうか?
ユアンとデカプは色あせない。

前にテレビで木の実ナナがいきつけの店(和食)をたずねる、そこで「ちょうど今日は特別にはいりましたよ」という鯨の肉を食べているのをみた。
みながら鯨の味を想像してみたけどいまいちよくわからず、いつかチャンスがあったら食べてみようかなとか思ったり思わなかったり。
とにかくナナは凄く喜んでいた。
スーパーの鮮魚コーナーにしれっとまざった鯨肉をみつけたので買ってきた。
刺身で食べろとかいてあったので食べてみたのだが硬くて噛み切れない。
やっぱ安いやつだとダメなの_?
鮮度の問題なのか調理法の問題なのか、始めて食べた鯨だったがあまりエンジョイできず。
噛んでも噛んでも飲みこむことができず気持ち悪くなったのでゴミ箱にペっ。
そのまま鯨のことは忘れていたが問題はそのあとである。
異臭騒動。
家のどこかから、獣臭い臭いが立ち上っている。
よく、人を殺めたのちに、自宅の軒下に埋めて隠蔽するといった狂気に及ぶ人や、切断ののち押入れに収納するといった方法で行為を隠蔽しようとする人がいるのだが、たいていその「臭い」によって完全犯罪はなされない。
そのとき罪を暴く隠し切れない臭いとはこんな臭いではないか、と思うほど力強くアピールする臭い。
強力な臭気がバリアさえはっている。どこが臭いの源なのか調べようとするのに臭すぎて近づくことができない、という事態にさえなった。
それで鯨の存在を思い出し、原因はシンプルにゴミ箱、と思い至ってやっと騒動が収束。
なんですぐにゴミ箱と特定できないかといえばそれが異臭騒動の恐ろしいところ、どこもここも臭気に犯され、どこが一番臭いか見極めることができないうちに鼻がおかしくなってしまうからである。
その鯨肉のサイズですけど、ほんの、刺身ひとかけら(5×3センチ、厚み6ミリぐらい)の肉をイメージしてくだぱい。
こんなちっこい鯨があれだけのパワーで臭気を放つ!
牛肉とかではこうはいかないのではないか?試す気がないのでわからないけども。
なんでか、さすが鯨だ、という気にさせられる事件であった。
おいしいとは思えなかったが鯨のパワーに関しては納得することとなった。
鯨肉に対して漠然と思っていた憧れはある意味昇華されたといえよう。

そして今、そろそろ来年の手帳を・・という流れ。からの。文房具病で大変。
手帳ぜんぜんきまらない。

有力候補

MOLESKINE モレスキン 2014年 デイリーダイアリー / ハードカバー / 黒 / ポケット

MOLESKINE モレスキン 2014年 デイリーダイアリー / ハードカバー / 黒 / ポケット

ヒグマはじめました・・・

宮島で鹿も怖かったんだわー

暑い、息が苦しいくらいに。
部屋にいても命の危険を感じるため、ひらきなおってエアコン使うことに。
意識が朦朧として何もできないんだもの。
そんでくだらないことを検索していたらひっかかってきた、さんけべつ。
いたずらにこの一文を読んだことですっかりヒグマに興味をもった私。
wikiに投稿された文章の中でもベスト3にはいるのではないか、と誰かが評していた名文三毛別羆事件←コレがとにかく秀逸で、秀逸すぎて読んだことを後悔。
中途半端に知っていると余計に怖いじゃないか、ということで興味が尽きるまで逝ってみようと思ったわけだ。
それまで熊に襲われるなんてひとごとだったのだが対策せねばという気が突如湧き上がり。怖くて落ち着かない気持ちになった。
こんなに暑いのに、だ。
窓の外はひどい吹雪で、一面雪で覆われている、中に黒い影が動いたらそれは熊。
私は恐ろしくて動くことができない、そしてそのまま熊にぶんなぐられて血だるまの肉塊に。そんな風に、でっかい熊の食料になるでもなくただなぎ倒されて土に還る8歩手前ぐらいになった自分が鮮明にイメージされて怖いんである。これって前世の記憶というやつなの?それとも何よ?

でかさをもっと具体的にイメージしてみよう、ということで剥製をみにいってみたけどでかすぎたのかなんか違うかんじ。
動物園で熊みたいことあるけど感想は「もっと動いてみせてほしいなー」。
が、熊が能動的に動きまわっている状況が目前に訪れたとしたらそれは肉塊フラグってことなんである。きゃー。
すでに熊研究に明るいマイミクさん(略してクマミー)がいるため、その人の指南も受けつつ根源的恐怖のひとつと思われる熊恐怖の探求を試みてみる。主に読むアプローチになるが続ける。

とか思っていると、ケーブルで映画かいじゅうたちのいるところをやっていてみた。

かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ [Blu-ray]

かいじゅうたちのいるところ [Blu-ray]

本人のイマジネーションの産物とはいえかいじゅうたちのデザイン怖くて(絵本のまま)、男の子はよく普通に混ざれるな、とか思ってしまう。
あのかいじゅうの中の人にはなってみたいなーとおもってしまう。
着ぐるみの中の人になるバイトって、いつか絶対にやってみたいとおもって果たせぬままだそういえば。BBAでもはいらせてくれるかな?
映画は悪くなかった。けど、まったく同じ内容を日本人キャストでやっても私の心にはなにひとつ刺さらないと予想。
とにかく、この世の熊には二種類あり、私の知るファンシー種の熊は本来とは別の種の熊なのである、ということは思い知ろう。

ムロツヨシ目当てでみた「名もなき毒」(ドラマ、原作宮部みゆき)があたりだった。
「うらやましー」とか「ずるいー」とかわりと軽はずみに発言しがちだけど、言われるとむかつく言葉の一つ。
その一点に集中すると色んな要素を絡めながら「よく描けているなー」となる(わたしはこっちだ)が、青酸カリ、脅迫電話、ジャーナリスト、土壌汚染とかのほうに目をむけると「で?」ってなるであろう。
人の痛みには鈍感どころか存在すら認めないのに、自分の欠け痛みだけ大音量でアピールする人は嫌だな。でもそのプチっとした毒気ってしばしばでくわすよね?という話。
私ときたら、ふざけたことに犯人の存在に、納得はできないけど理解はできる。少しだけど共感すらできる。自分のプチ毒に、自分が毒されている自覚もあるし、もてあましている自覚もあるから。一線をこえたらこうなってしまうのよねーとおもいながら見た。

な、漂流してるだろう?

根源的って言葉が便利と気付いたの

おろちのトートバッグもって歩くと、知らない人に声かけられたり、知っている人からも楳図を熱く語られたりする。
「え、好きなんだ?(楳図が)」とか言われたりする。けっこうなれなれしいかんじだ(驚)。
いまのところ嫌な気分になったことはないが、赤白のストライプ長袖シャツとコーデしたろうという計画は実行に移さないほうがいいと確信。
いたたまれないことになりそうぢゃん!


私も、人のバッグとその中身(とくに文房具)はがっつり見てしまう派だ!
ある日新横浜の駅で、ホームにいる女(そこそこ混雑の時間帯、少なくない)のバッグがぜーんぶぜーんぶぜーんぶ軒並みコ一チ(の、モノグラムライン)というのを目撃したけどあれはなんだったのだろう!
去年のことでしたが新横はコ一チの聖地とかだったりするんだろうか。
地下鉄のホームに同じマークのはいった鞄を持つ女が続々集合してくる、それはちょっとSF的光景だった。


久しぶりに漂流教室読み返し。
ずっとずっと若いとき、若いというより幼いときに初めて読んだけど、そのとき、怖くて全部読めず、飛ばし読みしたんじゃないか、という疑惑が。
今意味がわからなくても、大人になったらきっと・・・ってそのとき思ったとおもうけどまだ謎な部分があるうえ、しかもまだ読むのが怖いのだった。


消化しきれずオロオロしていると、巻末についていた解説に凄く共感できる一説が。
楳図の凄いところは根源的不安を描いているところ、とかなんとか。
この解説者が名解説者で、なんか怖いよーでも説明できないよー(頭弱的な問題で)という部分を「根源的恐怖」と定義してくれたおかげで読み終えたあとの混乱を乗り切れた。
一度映画化されたことがあって、見たあとポカーンとなったのを覚えている。
あれは幻だったのか、ぐぐったらやっぱ存在していて駄作駄作と評価は散々なんだが、自分の記憶として、あれは駄作という言葉で言い表せない「ポカーン」だったので誰かうまいこと定義してみてほしい。
この世界のどこか(パラレルワールド含む)ではあの映画を大傑作と評価する文化もきっとあり、あの映画はむしろその世界と僕らの世界との入り口として開かれた異世界の裂け目のようなものなんだよ、とかそういうかんじに。
そう考えてみれば、あの映画のなんじゃこれは感、どうしてこうなった感はまだぬるい。
そのぬるさがダメだ、といわれているわけだが。

漂流教室 [VHS]

漂流教室 [VHS]

やばい、またみたいとおもいはじめた

人からもらってずっと育てていたカスピ海ヨグルトがついにお亡くなりに。
もう10年も育てたというのに、使う牛乳の種類を低脂肪にかえたら雲行きが怪しくなり、ついにシャバシャバした謎の液体になってしまった。
誰か!タネをくれたねを、ということでアピったが、いまさらカスピしている人ってどこにもいないのね、いやしないのね。
最初にくれた人(友人ママン)にも声をかけたがとっくに撤退してた。
かといって、まったく知らない人からもらうのも嫌だし、種から作戦は諦め、ネットで乾燥粉末を入手。
一晩でカスピができあがり、またブリーダーに返り咲き。
カスピは本当にいいヨグルトなので興味のある人はためしてみるべき。
緊急入院で食事gdgdになったときにもこれに救われたし、菌を培養する、っていうのもなんか楽しいからぜひに、だ。
長生きに興味はないのだが、痛いとか辛いのが嫌いなのでつい健康になりたがってしまうのが私の困ったところ。
自家製ヨグルトまで作るとか、どんだけ。矛盾しすぎ。
いつか、長生きしたいと心から言える日がきますように。

曙産業 常温で簡単に作れるカスピ海ヨーグルト CT-219

曙産業 常温で簡単に作れるカスピ海ヨーグルト CT-219

便利でびっくりの容器。もっと早く買えばよかったよ的な。

ピュアピコ

体等身バランス大事やね

人形に手を染め始めた頃、まだヲタ臭いものに対して嫌悪があった。
それと逆に、すがすがしいほどにヲタ臭いものだと逆に面白がる余裕もあった。
さてピュアニーモ、ピコニーモである。
最初に見たときとても不安になった。
手にしていいものやら距離を測りかねる。
乙女とかいう分野にしてはムチムチしていて写実にすぎるきがするし
耽美とかいうにしてはコミカルすぎるこのデザイン。
しばらく放置していたのだがこのたび必要にかられてピコのほうを入手。
不思議、素体って素体だけだと素体なのね。
凄く匿名。ロリでもないし、エロでもない。
思ったよりずっとモノっぽいのである、特定の顔を思い浮かべることもない。
値段のわりに稼動する便利な体、ということで
裸のまま部屋に放置しても抵抗感がない。そのため放置しちゃっているが気にしてない(しろよ、しとけよ)
顔がつくと途端に状況がかわるとおもわれる、人形の体と顔の関係の謎に一歩踏み込んだ気がする!
サイズさえあえば、どんな顔もうけいれるようなそうでないような。
ハニワ、とか見ていると人形を欲しがるのは人間の原始的欲求のうちなのではないか、とか思ってしまうのだが、人形を作りたがる気持ちっていうのはどうだろう?
人形を欲しがる人とそうでない人の違いについて考えていたこれまで、その謎もとけぬまま作る人と作らない人の違いまで悩むことになったワタクシだ。

ピコニーモ Sボディ 白肌

ドラマとか映画とかに人形がでてくるとめちゃ気になってしまう。
(人形の持ち主作者がどんな人格で扱われているか、あと劇中のドールのデザイン。
ま、人形者が肯定されていることなんてないんだけどな。)
気にし始めるとけっこうある。そのうち表にしてみよう。

オムレツベイビー

干渉おことわり

フライパン(というかキャセロール、安い、1500円ぐらい)が熱い。
懸案事項だった餃子を上手に作れるのに、上手に焼けない(ので、おいしく作れない)というふざけた事態が解決の兆し!
今までなんだったんだよ。
調子にのってオムレツを作るとこれも漫画みたいに綺麗に木の葉型に作れる。
け、結局腕より道具なのか?
ルクルである必要すらない・・・というかキャンプ用でここまでいけてしまう、そのことを今まで知らないでいたショックがでかい。

さらに、オリバタソリスペクトでダッチベイビーをつくり、こっちの腕もめきめきあがってきた。
問題点として、びしびし作ってガシガシ試食していきたいが、それをやると私本体の維持がやばいために腰のひけた対応になってしまうこと。
小麦粉(つまり炭水化物)やばいよー!
あと、ダッチベイビー(パンケーキのこと)は名前がダッチなだけでドイツとはなんの関係もないらしい。フレンチフライがフランスと無関係なように。
アメリカめ!

蚊ヲヤジのせいで庭仕事が本当に憂鬱。
境界に木を植え続けるしかないけど。
早いもんで4月、ここんとこ、風が凄かったり雨が凄かったりで正視していなかったけどあらためてみたら庭、ひでぇ。
一部野原化してすっかりワイルドだ。
なんて速さだ。
ガーデニング、なんて言葉が本当に非力に思える。
そんなもんが本当にこの世にあるのかとさえ思える。
育てたもんが育たないのにいらんもんが花盛り、どしどし種つけて増えまくる。
そういうことで、この春の庭は超厭世モードにて嫌々スタート。
芝刈りする気にすらならないのでとりあえず農薬を撒き散らした。
ついに、この私も目分量で農薬散布する人の仲間入りである。
2週間ぐらいで雑草が死滅、芝生が青くなる、予定。
失敗したらショック。そのわりに軽はずみにやってもうた。

庭は自分のためにやっているのだ、それで誰にも干渉されたくないしほうっておいてほしいのにやけに邪魔がはいって不愉快。
ますますやる気がなくなるがそうするとどんどん荒れてさらにやる気がおこらない悪循環があるのだ。最悪。
暫定的に仮組してあるビオトープとかちゃんとやり直したいのだが、昔は無限にわいてきた活力が沸いてこない。どこにいってしまったのかやる気。

アウトレイジの椎名きっぺタソとキッズリターンの金子ケンにゃは至宝だ。
何度みてもすごい笑えるぜ!
さすが、タケスは少しだけモホなだけあるなあ。

昔。
教習所に通っていたときに、教官からいきなり本を渡された。
で、「ここ読んで」といわれたところを見たらばなにやら数字が書いてあり、
そのうちのひとつが私の番号だとかで「指導要項」が書いてあるのだ。
なぜかその教官は「この指導要項であなたを指導します」という要項を指導される私に見せてくれるのだ。
そんでびっくりしたのはその成り行きだけじゃなくてそこに書いてあった内容だ。
●●(忘れたけど数字)の人(私のこと)は〜〜〜なところがあり、指導するときには$$$を心がけると良い、といったことが書いてある。
この内容がどんぴしゃに私の性質をいいあてており、読みながら凍り付いている私をみて教官タソはご満悦だった。
その教習所の教官はカスからボロまでいろいろいたが、私はその、愛想がいいわけでも優しいわけでもないのになぜか自分と波長が合う(気がした)その教官が一番気に入りだった。
いまにしておもうと、あれは「数秘」というものではなかったか?
風水(ガラクタかれん)からスタートした私のエセ占術大作戦、現在数秘がマイブームである。
本を買いあさるもどれもえらいこと分厚く(タウンページみたい)、ますます部屋が怪しいことに!

二つの世界

日が長くなるるるるる

■20年おせぇよ、ちぅ感じだがいまさらジェイミーオリバータソに夢中。
イギリスの料理人。
ケーブルで番組(30分で食事作る)はじまったのでヘビロテ。
盛り上がって、フライパンをポチった。
マフィン型も買おうとしている。
一度あきらめたはずなのにルクルのキャセロール再燃。
オリバタソのはたぶんデューン(砂色≒白)。こういうのもいいのよね。

誰かさんに負けないぐらいオリーブオイルだぶだぶである。
レシピそのままパクるとああいうふうに肥えてしまうのだな。
しかし、オリバタソかわゆしおそるべし、デブ、ハゲかけ(後から前に髪の毛もってきてごまかしてる=ごまかそうとしているのがみえている=ごまかせていない=ハゲ)でも愛嬌あり、嫁美人、子供天使、とんでもない妻子持ちなり。
スナップエンドウのカレーまねしよーっと。

・買ってきた野菜(すぐ使えるようにむしって袋にはいっているアレ)を、洗わないでそのまま食べちゃうのって平気なの?
・ちょいちょい画像がカットされているけど、本当に30分でやってんのか?
・とくにオーブン料理。仕込みいれて30分、賞味20分弱の加熱であんなにこんがりいくものか?
・ホーローの鍋を金属のスプーンやフォークでガシガシかき混ぜているけど傷つかないのかい?


■何度も何度も懲りずにティーサーバを割ってしまう私。
しかたがないので新しいのを買ったんだけど→取り説を読んでいたら紅茶のいれかたと並列に「コーヒーのいれかた」というのもある。
コーヒーこれでいれちゃう?
と、ググってみたらばところによってはあのドリップする入れ方よりもサーバーによるいれかたのほうがメージャーと書いてあるところがあった。
ショック、しらなんだ。
そんでもって試してみたらばこれが自分好み。
ドリップでいれるよりも酸味がなく、がっつり濃くできてホイップミルクいれてカプチーノもどきにして飲みたい自分にあっているぅ。
これでガブガブいけるのである。やった。
コーヒー好きな人、だまされたとおもって試して!
ずいぶんと長いこと生きてきたつもりだったが知らないことだらけちゃん、コーヒー一杯のいれかたもよくよく知らんのである。あきれたことだ。

■洋ドラ、フリンジ3とキリング2が自分的にあたり。面白。
が、どっちも見ているのでたまに話がごっちゃになる。

・フリンジ主役の女子は、リンとしつつ植物っぽい少女っぽさがそこはかとなくあってよかった、3になってめっきり油っこい。ん〜貫禄は増していてこれはこれで面白いかも。
・最初、SF全開なところが面白かったフリンジだが、いまやもう人間ドラマ、それもかなりディープなところにいつのまにか誘われていた。
・理系っぽい演出の中、ウェットなテーマが映える。
・「お父さんと息子」っていうテーマ、自分の中でかなり未知のエリアである。
いままで真剣に考えたことがなかった。父親でも息子でもないからヒトゴトだとおもっていて。
でも一応人間なのでうっすら自分にも関係あるテーマなのかもしれない?
・息子をとりあげられたら自分の人生がからっぽである、とうったえる父親の姿。
自分の親と相似なところはどこも見当たらないのにとても切実に思えるのである。マジック。
・で、日本から勘三郎団十郎も消えてしまうなんてこれって現実世界のことなの?っておもう。
・キリングの1はもっと低予算っぽいかんじだったのに、1がヒットしたせいか2が豪華なうえ、話も重厚になっている。
・そりゃよかったといえばよかったんだけど→なんかこんなちゃんとしたドラマじゃなかったのにいつのまにかちゃんとしていてちょっとうろたえたよ?
・洋ドラ全部が当たり、というわけでもないのに私はなぜ洋ドラをみるんだろ?
日本のドラマはスタッフかキャストに好きな人がいないとまず見なくなっているんだけどなぜか?
・まあ、つまんないんである。強力のドラマなんて見るもんか。
ご幼少のみぎりよりジャニヲタやってる私ですらじゃにドラマ退屈。なんでだろ。

・あと、洋ドラにでてくる「わ、この人なんかホモっぽーい」という人をぐぐってみるとほぼ100%ホモである。
なんでホモって外人(私のこと)にもホモとわかってしまうの?
かといって、そうでない男の人とホモとの端的な違いを説明しろ、といわれて何が言えるというのでもないのである。ただ、雰囲気。ナヨナヨしているというわけでもないしオネエ言葉でもないのに、なんでか「この人ストレートじゃない」と感じる。
といっても、本人ががっつり仮眠具アウトしている場合以外はただ「らしい」だけだけど。
あと、両党だった場合、見分けはぐっと困難になるな。
言われてみればそうだけど、ずーっと気付かなかった、という場合もある。
例:奥様は魔女のダーリン
しょうもない結論だけど、外見と中身は繋がっている。よな。