падать

ねぼけ

かねてより危険といわれいた親戚の婆様が先週亡くなった。
忌引きの女になった私は、ガーデンシュレで庭掃除を満喫したり、親戚の男の子とロックについて語ったりして過ごした。
降ったり曇ったりで変なお天気と、七夕祭りと葬式、そしてロックとセダム
ヤボなハプニングも重なって、汗をかいたり泣いたりしてよくわからない数日間になった。
前に読んだ本に書いてあった言葉。
“頭の中で会話をしてはいけません。あれこれ心配をするのは、木馬をこいでいるようなもの。”
色々と深刻なことを考えたけれども、とりとめもなく今は思い出すことが出来ない。このまま忘れたい。

アーティチョークは、花が咲き始めると葉っぱがシオシオになって、株はそのまま消えてしまうのかと思いきや、ひっそりと新しい葉がでて新たな株を構築していた。
なるほどこうやって世代交代するものなのか。
古い葉を全部落とすと、中に出来たての小さめな葉がちゃんとあって、一瞬にして若返り。
今まで育てたどの植物よりもスマートな更新だったので、庭でひとり感銘を受けた。
葬式独特の雰囲気に飲まれないように踏ん張っているうちに、気づくととんでもないところまで自分がコースアウトしている風。