море

鼻鼻


入り口でいきなり靴を脱がされる(脱いだ靴は靴箱にいれて札を持つ)焼肉屋さんにいった。
行く夏を惜しむキャンペーン中の私は素足にサンダルを装備していたため、いきなり裸足になってしまったわけで、板張りの床の上で非常に心もとない思いをした。
思えば、自宅以外の屋内で、裸足になることなどそうはない。
“私、今裸足だよ”と思いながらもいつしか食事に没頭していたが、再び板の間裸足問題がクローズされたのは、支払い前にトイレにはいろうと画策したときのことだった。
トイレの構造はどうなっているのだろう?
まさか便器の手前まで板張りが続いていたら断固拒否だ。
素足に便所スリッパもお断りだ!
果たして、トイレの扉を開けると個室の手前までは板張りがまんまと続いており、一度土間におりるとそこになぜか健康サンダルが並んでいるのだった。
裸足でもスリッパでもない待遇に若干の安堵を覚えたものの、健康サンダルの右足と左足はあっちゃこっちゃで散乱しており、個室は3個しかないのにサンダルは優に20足はある。
狭い土間にみっちり健康サンダル。非常にデビット・リンチ的光景だ。
なんだろうこのトイレは。
私は放尿へのトライアルを決め、とりあえず左足に適当な健康サンダルをはいてから、似たような柄の右足を選んで個室へと旅立った。
健康サンダルをはいて、健康サンダルの上を3歩ほど歩んだ。とても健康サンダル。
そんなプチ不幸の後だったからなのか、私はなぜか用を足したあとに放心しており、ハッと我にかえったときには、便器の水流の中に持参していたハンドタオルを落としてしまった。
渦をまきながら流れては、滞るタオル。
なにしろ私は素足に健康サンダルなので、こんなところで便器の逆流に飲まれるわけにはいかない。
決死の覚悟で、水流に逆らって便器の中からタオルをひっぱりだし、むなしくなったのでタオルをゴミ箱にひっそりと葬った。
なんだか足の裏が気持ち悪いというのに、あまつさえ手まで汚水にまみれた私。
土間へと逃げ帰り、洗面所で手を洗った。
ハンドソープはもちろん大盛り。しかし一向に泡が立たない。
徳用ボトルを見ると、しっかりと「ヘアコンディショナー」と書いてあった。
シャンプーですらない。
ハンドソープと間違えて仕入れてきたのだとうっすら思った。
思ったが納得はいかなかった。
間違うかね?
ボディーソープあたりならともかく、ヘアコンディショナーと間違うかね?
戯れにボトルを持ち上げてみると、6分目ほどまですでに使われており、察するにこの店は使い切るまでハンドソープを出さずにコンディショナーで乗り切るつもりだ。なんてことだ。
汚水にまみれた手は山盛りのコンディショナーで妙にしっとりしていつまでもさっぱりせず、埒があかないのでハンドタオル(これは普通の便所紙だった。わら半紙みたいなの)で手をぬぐっては捨て、ぬぐっては捨てしてやっと呪いのトイレから脱したのだった。
底冷えのする板の間(座席はすべて板の間+掘りごたつ形式)に素足で挑んだためなのだろう、帰宅した今になっても妙に足が冷えてせつない。
足からジーンと冷えが立ち上ってくるたび、コンディショナーの匂いが蘇ってきては私から焼肉の余韻を奪っていく。
私が今とても心配していることはこうだ。
今、この小さな島国のどこかに、自分ではそうと気づかずに、“シャンプーのあとにハンドソープでヘアコンディショニングしている人が存在している”。
もしくは、“ヘアコンディショナーと間違えてハンドソープを持ち帰り、悔しいので復讐のために勤め先(板の間焼肉)の女子トイレにヘアコンディショナーを意図的に配置している人がいる”。
ちなみにヘアコンディショナーは、パッケージに海草の絵が沢山描かれており、「海の恵みで髪によみがえる張りと艶」とかそんなキャッチフレーズまで明記されているものである。
一日も早い改善を願うものだ。