Вы любите музыку?

CastleDragon2004-11-24


最近気づいたのだが、私は同級生(だなんて、学生やめて何年経過しているのか)と比べて、聴いてる音楽の絶対量が多いかもしれない。
人の家に行くと、置いてあるCDの量が少ない。一家に一台しかステレオがない家では、聴く音楽の選択権は誰にあるのか。
ちびっ子の頃、あの有名な「てんとう虫プレイヤー」というのを私も持っていたのだが、プレイヤーがあったらいつでも音楽が聴けるかというとそうではなく、「今聴いてもいいですか」といちいち親に確認をとらねばならず、たいてい「うるさいからダメ」と断られ、それが凄く嫌だった。
だから、平成生まれの人とかがきいたら江戸時代の人か、とか思われるんじゃないかと心配だが、ラジオで(しかもAM)音楽ばっかり流れてくる週末とか、本当に楽しみだった。
ヘッドホンをゲットしたときには、これで人からうるさい、とかいわれずに音楽が聴ける、と嬉しかった。
ラジカセをゲットしたときには、これでもう一生、音楽には苦労しない、と本気で狂喜乱舞したもんだった。
ダブルデッキ、というテープからテープにダビングできるブツが登場したときには、友達とテープの交換が可能になり、これも嬉しかった。
今、音楽のありがたみを感じるのはステレオが壊れてCDが音とびするとき、修理にだしていて部屋にデッキがないとき、とかぐらい。
ステレオがなくても、私にはマイテレビもあるんだからね。
だからもう、スキなときに音楽を聴いたりできないので、我慢するために体育座りで歌詞カードをずっと見ている、脳内再生して「聴いているような気持ちになってみる」とかいう悲しいことをしなくてもいいのだ。
それなのに、「あーずっときいていたい。ずっとずっと」という気持ちは今も自分の中から消えていない気がする。こんだけスキなだけ聴いているのにまだ足りていないかもしれない。
自分がよいと思えない音楽をずっと聴かねばならない状況とか、音楽が聴きたいのに聴いてはいけない状況だとかに、もう耐えられない体になっていると思う。
音楽を聴きたい、というのは生理的な欲求なのか?
本とか漫画とかを読みたい、という欲求は、少しなら我慢できる気もするが、音楽は我慢できないと思う。
学生のとき、「○ーツアルト」というパン屋でバイトをしていて、そのパン屋では、店名の通りにずーっと○ーツアルトがかかっていた。朝一で出勤した先輩がデッキのスイッチをいれると、それをオフにするまではエンドレスで途切れることなく曲が流れ続ける決まり。テープが一巡すると最初に戻ってまた最初の曲が始まる。一日に何度も同じ曲を聴くと、さすがに飽きるんじゃないかと恐れていたのだが平気だった。
私はアマデウスの力に心底驚いた。
別のパン屋でバイトしたときには、店員の誰かの趣味でCDを手動再生していたが、忙しくてCDをチェンジする余地のないときは同じCDがかかり続けており、ギャル店員がチョイスしたヘタレじゃぱにーずろっくみたいなのとか、なんちゃってあこーすてぃっくでゅおとか、とても我慢がならなかった。イライラするのでレジの変なキーを打ち込んでは、店長の眉間に皺がよってしまう。
だったらもうじぇいうぇーぶとかラジオにしてほしい、と思いつつ「店の環境もサービスのうちだから☆」とかう糞な店長の発言に眩暈。
コンビニの中で聴く有線放送も暴力だと感じるときがある。
おまけつきおかしの「オマケ」を念力で内視しているときに、はなわ、とかが聞こえると雑念がはいる。内視を誤って誤爆してしまうのだ!そしてダブリ。
どうでもいいが、SAGA、とギター侍のうた、のイントロのあたりはよくできている。
ネタ部分との対比のためにかっこよくさせる必要があったのだと思う、でもガッツの歌はぜんぜんダメで、ネタ一本押し、そのネタも面白くないので「ギターじゃなくてベースってところが乙だわ」などと一時でも心を許した自分を恥じている次第。
ちょっとまとまったお金を手にしていても、いつのまにかなくなって泡になってしまう原因だと薄々気づいてはいつつも、今日もまたCDを買ってしまった。
これはシャンプーや歯磨き粉を買うのと同じことなのだと一応納得はしているものの、どうして(自分の周りにそういう人はいないのに)自分だけがこんなに消費するのかと不思議。
てんとう虫の呪いだとすると、私はあまりにも執念深すぎではなかろうか。