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ただいま。と思わず言いたい。私は長い旅から帰ってきた。
ちょっとゲーム「どろろ」に逝っていたのだす。
どろろ」は手塚治虫作品の中でも好きな作品。
通して読むと、なんだか未完の作品のような印象にシビれるという不思議な話だ。
ペンギン男と対決するバットマンの設定はこれをパクっていると私は勝手に思っているのだが、自分の知る手塚作品の中で、どろろのオープニングが一番スキなのだ。

権力にとりつかれた醍醐が、魔物に魂を売り渡して、力の代わりに差し出すものが、今まさに生まれんとする自分の息子の体のパーツ!
雷がごろごろいう豪雨の中、48の魔物に自ら交換を申し出る。
母親は自分の生んだ子供をみて悲鳴をあげ、子供はすぐに桶にいれられて、近くの川に流される!
生かしも殺しもしない残酷さ。
百鬼丸は魔人に差し出された自分の体を取り戻すために、48の魔物と戦わねばならない。
48とは人の煩悩の数だ、人が死んだときの供養も48日後(49日)なのだ、この数字には何かある。
百鬼丸は、自分を捨てた醍醐よりも、自分を拾い上げて人の形にした医者をリスペクトしており、魔人から「親に捨てられた子」と煽られると必ず「俺の親父は立派な医者だぁ」と言い返す。
「お前の母ちゃんでべそ」とか「さのばびっち(あばずれの息子)」の響きとも似て、ありがちで幼稚な言葉でありながら、これほど人が言われて傷つく言葉もあるまい。
子供にとって、親を侮辱されることは自分の存在そのものを否定されることと同義かもしれず、「死んでしまえ」とかダイレクトに言われるよりも破壊力がある。
人から軽んじられて自尊心に堪えると同時に、「どうして生まれてきたの?生まれてきちゃったの?」という問いにしっくりくる回答をもてなければ、そんな自分にも傷つかねばならないかもしれない。
そんな鬱な!特攻服もってこーい!!

そういった状況をもってして、晴れて私にも魔人を斬りまくりたいという衝動が生まれたのであって、斬りたいからには情緒やカタルシスだとかそんなもんはいらん。自分の余命よりも、ロードのダルダルのほうがよっぽど気がかりです。早くしろ!私は急いでいるんだ!

恒例の背筋筋肉痛、今回はL3ボタン押し込みダッシュなので左胸筋金縛りと戦いながら、どろろ
乱世、戦国時代っていうのは理解したのだが、マップに明らかに日本じゃない場所が出現しているのは・・。
間合いが大事と謳うわりに、カメラが引き画像だけだけになったり、上方向にダッシュしていると突然画面が手前進行に切り替わったりといったやんわりとした嫌がらせを受けつつ、私はやっと旅を終えたのだ。すっきり。

「天階」祭りとも同時進行だったため、今、わたしの目の下には御札のようにパッキリと鮮やかなクマが。
目の下のタルミというのは、二重にも三重にも連なるものなのですね。
むしろそのタルミを斬れ、って話。