メガーネ

これが私?

最近、メガネかけている人が多いナーと思う。
伊達だかお洒落だかリアル近眼だか知らないけど。
本当に目が悪くて視力矯正が必要な身としては、メガネにメガネ以上の意味があるとしたら戸惑わざるを得ない。
メガネに前向きな要素なんて何もない。
それで、メガネ人になって程なく、私はコンタクト人になった。
昔は煮沸をしたもんですよ。
メガネばっかりで旅行にいくと、煮沸用コンセントの穴が足りなくて夜中に騒然となったりもした。
ドライヤー用コンセントが上向きだったりすると、洗面所で煮沸できないから魔法瓶のコンセント抜いたりして大騒ぎ。
1液、2液とか。錠剤だの、保存液だの荷物多くって・・・
しかも値段も高いから、うっかり破いたり失くしたりしたときのショックときたら。
一日使い捨てのコンタクトが熱烈支持されたのも無理はない。
私も使い捨て人になった。
でもやっぱり値段が高かったり、眼科いったり、まとめ買いできなかったりとか色々面倒。
毎日のなにげない事なのに維持にコストと手間がかかるってのは嫌なもんだ。
次第にメガネ率が高くなってしまい、最初は忙しいとかいう理由だった気がするが、気付けば本当にメガネばっかりになってしまっていた。この2年ほど。
コンタクト人になると、メガネに前向きな支持要素というのを感じることが出来るのだ。
まず、コンタクトは壊れたら使えないがメガネは割れても折れても目のあたりに配置しさえすればメガネである!
漫画みたいに、柄の曲がったメガネをね・・・かろうじて鼻に乗っけているというずっこけ状態でね・・・でもメガネ!
見えないメガネも裸眼よりマシでさえあればそれはメガネ。
と、こんなことやっているうちに、すっかり自分の容姿に無頓着人になってしまった。

むかし昔、メガネにあった「暗そう、まじめそう、つまらなそう」とかいうマイナスなイメージ。
これはあながち嘘じゃないなーと思っている。
メガネかけると、ガラス一枚(本当は二枚)越しに少し世界にファンタジーフィルターがかかっている。(当社比)
人に目を見られても、丸腰感がないというか、本当の自分の目は「もう一枚奥におります」みたいなかんじ。
窓は開けてもカーテンは開けないという閉ざし方。風は通すが中は見せない。人として単純に土俵から降りてます、というアピール?
閉店ガラガラ。
これがなんか楽なのであって、メガネかけていると、実際の顔の造作とかもよくわからないし。
メガネかけないとナンもよく見えん私など、自分の顔がどんなだったかもかなりあやふやになっている。
ドラえもんアイテムでいうと「石ころ帽(路傍の石ころのように、存在が消えてまるでいない人のようになれる帽子)」のような作用が。
しかも顔もない。
このモヤァーとした存在。ちょっとした自爆霊みたいに世の中を漂っている。
漂ってみたい、そんな気分だったの。
しかし、いつまでも漂っていちゃあいけないよ、という気分になり、なけなしの金をはたいてコンタクトを仕入れ。
入れた途端に生え際に白髪発見して欝。
自分の顔を久しぶりに見て、なんかあんまり自分のような気がしない。
確かに記憶の中の自分と似ている気はするけど、血縁のある人、ぐらい自分との結びつきが希薄な状態だ。
それで、まるで親戚のおばちゃんの顔を見るように自分の顔をみて、老けっぷりも悲しいし「あんた、よく見ると面白い顔しているね」ってかんじで、石ころ自爆霊として過ごした月日が、自分を自分として認識できない、認めたくない、というところまで自分をファンタジスタにしたことに狼狽中。
ダウニの匂いを振りまきながら、目玉の異物感と戦い、自分探し?というか自分が誰だか思い出そうとしている。
漫画だ。スケ晩刑事だ。鉄仮面伝説だ。ルイ14世だ。
名探偵影マンだ。お邪魔ユーレイくんだ。(@昭和コロコロ世代)