愛 脳 マジック

今年もよろちくね!

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


年末、思いがけずどんよりした気分で過ごしてしまった。
原因は飯島愛かと思われる。
岡田有希子が死んだときもそうだった。
とくに興味があるわけじゃないのに、亡くなったと知った途端に、少しずつ死んだ人の気分が私の一部に憑依してくるような気持ちになった。
それでいて、私は誰ともこの話を交わさない。
自殺かもね?抹殺されたのかもね?
誰かが話題にしていても、自分の中では胸がいっぱいになりすぎて話に混ざっていけない。
ふーん、なんて気のない返事を返してしまう。
別に誰のことを責める気もないのに、なんだか機嫌が悪い人みたいになる。
もてあましている。
凄く久しぶりに、世に出たばかりの頃の飯島を見る。
あの頃、女子大生でも短大生でも、クローンみたいに大勢こういう飯島愛はいた。
マドンナ旋風とか言っちゃって、男女平等とかも言っちゃっていたのに、当の小娘たちはみんな男子奉仕型風貌。
飯島愛をみんなが真似たのか、人がしているのを飯島が模写したのかどっちが先かはわからない。
アムロが流行っていたとき、アムラーと呼ばれる人の中に、本当はそんなに大勢アムロになりたい人がいたわけじゃない。
あれぐらいの年頃の女子が、ああいう風体を好んでしていただけなのであって、アムロアムラーとどっちが先というのでもないんだとおもう。
髪は長くて、前髪をチョロチョロさせて、色は鉄さびみたいな色で、襟ぐりの開いたカットソーを着ていて、ボディコンシャスなミニスカで、肌は焼いていて、ストッキングの色もダーク目。
型押し、キルティングの合成皮革の原色バッグに、ガチャガチャした金色の鎖をつけている。
一体あれはなんだったのか。そして飯島を見たとき、別にどこが可愛いというのでもないのになぁと思ったけれど、今になって昔の飯島を見ると、記憶の中にいる飯島よりもだいぶ可愛い。
せいぜい10人並み、化粧とったらたいしたことあるまいと思っていたけど、本当だ、こんな子が裸になったらみんなが見たがるなぁというようなギャル風情で、うまくはまってる。
もっと下衆なことを生業にしている女もいたし、もっと綺麗な女もいた。
なのになぜ生き残ったのは飯島で、なぜ死んだのも飯島なのか。
あのとき、私の目には、飯島みたいな女はみんな飯島に見え、借りに飯島のしていることが悪いことでも、間違ったことでも、その責任を飯島一人で取る必要なんてひとつもないように思われた。
逆に飯島のしていることが、もし凄いことで、偉大なことで、立派なことなんだとして、飯島一人が賞賛されるには及ばないと思った。
飯島はいつも、大勢いる女の子の中のある一角にすぎない。
日本中のその年頃の女子全員の中で考えれば、それはほんの一握りのことだったのだろうけれど、パチンコ玉がジャンジャンバリバリ流れ落ちるように、渋谷に飯島が雪崩落ちてきて、舗道という舗道を茶髪の女がミニスカートと膝上ブーツでヨロヨロ歩き回り、増殖して、近寄ると飛沫感染するぐらい強力に、「二択を迫られる」という強迫観念があった。飯島愛になりますか?なりませんか?いいえ。なりません。
飯島は踏み絵なのだった。
みんなが踏んで通った。自分を踏んでいるような気はしないのだった。
普通の女の子が体を売って生きていくことが特別じゃなくなった!という幻想が本当っぽく思えていた不思議。
一見してそうとわかるヤンキーというものが死滅とみせかけて、DQNというものに進化した。
進化はどんな風に起るのか。コレは昔教科書にのっていた。
「サルの芋洗い」。
飯島は最初に海水で芋を洗ったサル。
するとどこかから怖いサルが現れて、飯島を手招きしたのでついていくと、そこもまた芋畑と海だったの。
その海水でまた芋を洗うと、怖いサルが蒸かしてバターを乗せたおいしい芋をくれた。
飯島が芋を洗うと、それをみた他のサルが次々と芋洗いをはじめた。
また怖いサルについていくと、そこも芋畑と海。
そこでも芋を洗ったの。そしてまた芋洗いのサルが増えた。
色んな海で芋を洗いながら、おいしい芋が欲しくて飯島はついていった。
芋洗いのサルはどんどん増えた。
ある日連れていかれた海は、いつもより温い海だった。人肌ぐらいに。
そこでも芋を洗い、芋洗いサルを増やすと御褒美にまた芋をもらった。
次の日、別の海にいくと海水の温度が昨日よりまた少し高い気がする。
その次の日にはもっと海水の温度が高くなり、最後には煮え湯になっていたけど、飯島はまた芋を洗ってしまった。
爛れてしまったので、飯島は一見して他のサルとは違うサルになってしまった。
帰る道も忘れてしまった。もう最初の群れには戻れない。
行くところがないので道ナリに進んでいくと、ある日岩壁にいた。
サルはそこで死んでしまった。
あるサルは、飯島が岩壁から飛び降りるのをみたという。
すると別のサルが、飯島の背を誰かが押すのをみたといった。
また別のサルは、飯島の頭に石が落ちてきたのをみたという。
サルが集まって岩壁で飯島の話をしていると、あるサルは顔をしかめて「バター」といった。
バターを食べたサルは、死んでしまうのが世の習いという。
きっと沢山バターを食べたから、こんなところで死んでしまったのに違いない。
死んだ飯島など少しも可哀想ではないのだと。
飯島と話をしたというサルも現れた。
なぜ怖いサルについていったの?おいしい芋が欲しかったから。
なぜお湯で芋を洗ったの?最初は熱くなかったから。
なぜ煮え湯で芋を洗ったの?思い出せない。
冷たい海の水が、いつから手を爛れさす煮え湯に変わったか。飯島はそう話したという。
このサルが本当のことを言っているのかはわからない。
サルたちは最初、怯えて大きな声で話しをしていたが、途中で冷静になっていつもどおりに話した。
怖いサルに手招きされたらどうする?怖いのでついていきません。
蒸かしバター芋をくれるといわれたらどうする?洗い芋で充分なのでついていきません。バターを食べると、サルは死んでしまうのです。
煮え湯で芋を洗わないし、岩壁にも行かない。
サルたちは飯島を、最初のサル、と呼んでいたけれど死んでからは可哀想なサルと呼ぶようになって、今は無茶なサル、と呼んでいる。
なんであんな無茶をこいただか。
自分とぜんぜん接点も共通点もないのに、なんであんなに飯島を恐れたんだろう私は。
どこをどうして飯島を普通の女の子と見間違えたんだか。不思議だ。マジックだ。

そんでもって、目覚ましTVにて蝶ネクタイのアイツがやたら興奮して飯島追悼にでしゃばっていた。
その横には女子穴が二人並んで神妙な顔をしている。
会社がのっとられそうになったとき、当のIT社長と鍋やっていた女と、いつまでたっても噛まずに原稿を読めない女が。
「率直な物言いが支持されて」とかいっている。
ここに。「でもさでもさ」とかいいながらカットイン。女子穴とかいってきどっていても、やっていることは飯島とかわらないのでしょう、女を売りにしていい思いをしているんでしょう、とか吐き捨てて切ってみる風なのが飯島の芸風といえばいえる。
散々言ったあとで、私は馬鹿だからよくわからないけどさ!と自分でフォローしたことにする飯島が懐かしい気もする。
だから、というのでもないけど。
それではここで!ご冥福をお祈りしながらCMでーす。
といいながら、女子穴二人がカメラに尻をむけて自分でスカートをまくりあげる。
Tバックの尻をカメラが下からなめていき、女子穴は少しも恥ずかしがらずににっこりしており、「CMのあとはお天気でメッシュ!」といいながら尻をさらしたままCMへ!!という展開がもしあったとしたら、この上なく飯島の供養になるのではないか、美しく成仏できるのではないか、そうして欲しい、と思ってしまった。
とんでもない話だ。
朝からそんなテレビがあるわけねーよ。
でもあったじゃん。昔!と頭の中で飯島がうるさいのだ。
朝からテレビで女子穴が尻をだしている。そんな世界を望んだことなんてない。
でも、いまにも尻を出しそうな女が実際いるではないか。熱湯コマーシャル好きだったじゃないか。
ギルガメみていたじゃないか。
でもあんときは。ぼんやりテレビみていることが、こんな手負いになるとは思わなかったさ。
ね、飯島もそうでしょう?と飯島に語りかけてみる年始。
ダブルスタンダード、略してダブスタ
汚いものを見て見ぬふりせずに、「汚い!」と声に出して言いたいときってある。
自分がなんぼのもんでもないってちゃんと判っていてあ・え・て。
誰か!デカイの一発ぶちあげて、モヤモヤした気持ちを吹き飛ばして欲しい。
ほんのくっだらないことでもいい。ゲラゲラ笑えるようなOMOROが欲しい。
生放送の最中に、中山秀征の生え際が晒される!とかいうちょっとしたやつでいい。
禿げの脳天にハリセンが打ち込まれるいい音が聞きたいなっ。
そういうの、誰かお願い。