樹機器燐

はーあ

迷走に迷走を重ねたキャッスル減量計画。
何がなにやら、どうして太ったの、どうしたら痩せるの、と何もわからないですっかり迷子ちゃんになっていたがやっと正規ルート発見(暫定)。
着るとハチハチして関節が曲げられなくなっていた服が、日常的なゆとりで着られるようになった!
喪服は怖くてまだ試せていない。
もし、喪服に袖通してチャックがあがらない、という事態があったらそのまま絶望して挫折してしまいそう。それが怖くて試せない(ビビリ。)
体重なんて、デブとガリだけが測量しとったらいい、と思っていたけど、誰もがたまには測量すべきと強く思う。
デブ前の体重が把握できていたら、私は現在もっと心穏やかだったはず。
あと、ガセに踊らされることの危険。
今まで妄信してたこと、ここ数ヶ月仕入れて鵜呑みにしていたガセなど、数多あるダイエットダミーの罪深さハンパない。

とりあえず、春先からこちら、私がもっともらしくメモっていたダイエット知識的なことはたいがいガセ、だ。
むくみはむくみで脂肪は脂肪。
ごっちゃにしたのが誤りの元、かな?
デブの中には老廃物と脂肪の混合物があり、これは物理的に揉み解さないと痩せない、とか白湯を飲まないとむくむ、とかいろいろ。(←全部ガセ)
今となっては、こんなとんでも話をよく信じたなあ、という気持ちなんだけど、藁にもすがる思いで本当に藁にすがっちゃったんだね。
そして沈んだんだね。
年末に向かって、デブ解消という今年の目標(いつのまにかそんなかんじになっている)を果たそうと思う。

樹木は、枯れ死するまでは成長するというにしろ、現状維持できないほどに栄養状態や環境が悪くなっても、葉を落としこそすれその幹や枝が「痩せて細くなる」ということがない。
人間と樹木と比べるのも乱暴だが、もうこれ以上長さが伸びない、というところまできても、横に成長したり(まさにワシ)、細さを変化させて大きさを上書きしながら生きていく生物(私とか)って面白いかもしれない。
腿から上にひきあげられず、履けなくなっていたデニムを装備したとき、(わずかとはいえ)減量を成し、見覚えのあるサイズになった自分の下半身をみながら、樹の年輪は増えることはあっても減ることはないものなぁーと思っていた。
サンプル自分だけなので確信はないけど、私はデブになってから、デブじゃないときにはしなかった思考をしたり行動をしたりするようになった。
中には、我が身のことと思えず、一体感もない挙動も含む。
自分の足の肉が邪魔で「しゃがむことができない」状態に陥ったとき、一体何事かと思ってキョロキョロしてしまった。なんでしゃがめないのか原因が自覚できなかった。しゃがめないほどデブったことがなかったので、デブがしゃがめないことを知らなかった。
まるで、脂肪に人格や思想があるかのようだ。
かつてないほど脂肪を蓄えたら、昔の自分になかった要素もいつのまにか「盛られた」んである。さらに、その新しい盛りに飲み込まれたかつてのマイボディは、すっかり鳴りを潜めて、ともすれば、二度と再会がかなわないとさえ思われた。
ダム開発で故郷が水没、地殻変動で0地点大移動、とでもいうのでしょうか。地層や年輪に時間が記録されているように、デブの脂肪にもなんらかレコーディングされているんだろうか。
少しずつ痩せていきあるとき、デブ0地点(私が太り始めた状態)に到達したとき、自分がなんで肥えたのか魔法のように記憶がよみがえってきたりしてほしい、とおもっている。