счастливый человек

CastleDragon2004-12-02


22時過ぎ、というのは、自分の中で最も危険な時間帯である。
やらねばならんことが沢山あるというのに、私が寝起きについで最も眠たがっている時間帯だからだ。
毎週毎週、性懲りもなく、私はちゃんと町っスのドラマを見ようとしては玉砕している。
ホカペの上でごろごろしながら、町っスの歯茎をみていると眠ってしまうの。
それで、初回からがんばっているにもかかわらず、私はまだこのドラマの全容を把握しておらず、ひたすら印象に残っているのは、こんまい、おかっぱ頭の、でら可愛いちびっ子娘なのでございます。
なにしろ反則なことに、声が可愛い。小動物な容姿に、鈴を鳴らすような声。
お前はピュアネスの塊だー!
だいたい、私は自分の母性というものを信用しておらず、人間の子供の、「誰が見てもかわいい赤ちゃん期」と「ほっとらかしても死なない安心期」と、「なにかしら使い道のある(用事をいいつけられる)収穫期」以外はあたし、みとめなーい、とか思っているのだ、ひどい話だ。
だから、私が子供のときの、そのどの時期にも属さずに「邪魔、うるさい、馬鹿」という鬱陶しいだけの存在であっただろう期間に、自分が親から虐待を受けたり捨てられたりせずに生き延びたことを不思議に思っているぐらい。
ひたすら親に有難く思うしかない。
しかしこの町っスとドラマにでているピュアっ子ときたら!
もう赤ちゃんじゃないし、ほっといたら死にそうだし、働かせるわけにゃいかんし、というこの年頃のちびっ子が、こんなに可愛いもんだとは。
大きな鞄を抱えて「よいしょ、よいしょ」とかいいながら坂道を登ったり、一人でがんばって靴下をはいたりしているだけでこんなにイトオシイとは。
そうか、こういうまぶしさに目を細めるご褒美があるから、親はつい自分の華の時代を惜しげもなく捧げて満足して生きていけるのだな。という至極まっとうなことを考えた。
こんなにかばええ生き物は、疑う余地もなく家族の宝であろう。
道端でみかけたとて、勝手に連れ去ってむごいことなどしたら100回死刑になっても償えまい!

さらに、共演している(というかコイツが主役だよ)の町っス。
海でサーフィンしていたドラマでは「このアフォが」という感想しかなかったのだが、さすがシリーズ化されている(らしいのです、どうも)だけあって、このドラマではいいかんじ。
というか私は見直した。
前からある種の魅力は感じていたけれども、それはあくまでも香ばしい系のもので、面と向かって本人に告げられるタイプの魅力じゃなかった。告げたら恐らく殴られる。町っスに。
が、ピュアっ子と戯れる町っスは素敵だ。
小さい子供と一緒にいるときに、どことなく収まりの悪い男というのは存在する。
おそらくコイツ本人が子供なので、見ているこちらが混乱するのではないか。
「体は大人!脳内子供!」という逆コナーンになっているのだ。
あるいは、子供といると「犯罪者っぽさ」が必要以上にフューチャーされてしまう人。
小心なだけなのに、キョドっているだけで犯罪者に見えてしまう、恐ろしい世の中です平成。
全身から「子供無理でーす」というダメさが匂ってしまう人もいる(私です)。
自分の中で、町っスは逆コナーン系の人だったのだが、このドラマの町っスは、なかなかいい感じだ。
子供といるけど、浮いてないよ!
これって結構凄いことでは。だって、自分の娘と歩いているのに、人攫いにしか見えないお父さんもいるのだし。
と、寝ぼけたままの状態で町っスマジックに落ちた様子の自分。

それとは全然関係ないが、部屋のエアコンから「ブビー」とかいう音がしていてとても心配。
壊れる予兆がヒシヒシと。
修理めんどい!ウザー!!