Нужно?

冬の日


ジングルマス。
廻り回りてメリクリる。
毎度、正月気分はなかなか抜けない、抜けがたいのに、クリスマスは終わるとまるで幻のようだ。
この時期、もしも気分が滅入るとしたらば、それは幸せな人ばかりとすれ違うので寂しくなる、というよりも「やったる!やったる!」というギラギラした人が多いばかりに空しくなる、のほうが適切ではなかろうか。
「この季節はゲイの自殺がとても多いの!一年で一番多いの!」ってピーーコが言うてました。


道端で消防車が三台連なって走るのを初めて目撃し、それさえも「景気づけ」ぐらいの勢いでいたらば、朝になってドンーキがまた放火された、とかいっていてのけぞる。
吉野ー家好き、とドンーキ行きますよ、は、一時期、キサクさアピールの必須アイテムだったのにな。
なしてこんなに燃やされますか。
店舗の入り口で客に消火器を持たせる店にしたらどうか。
放火犯捕まえたら商品券あげる、とか。すると益々燃えそうな悪寒もあって、成人式妨害と同じにおいが。
悪い子はこないでください、というと「僕たち良い子だから!」と悪い子が乗り込んできて、危険なので良い子は近づかないようにしましょう、というと現場が悪い子だらけに。
物騒だ。


そんなことで、年末、年末とばかり考えていたらば、曜日の感覚のほうが元から怪しいのにますますわからなくなっていて、久しぶりにテレビ前に帰還したらばガキの使い。年末の週末!
途中から見たせいもあるがイマイチ話に乗れなくて、松ちゃんは大丈夫なのかと勝手に思う。
ごっつとガキを同じ比重で喜んでいた自分にとって、ごっつが無くなってからの松ちゃんのコント足りないモードはもはや慢性的なもの。
いつの間にか無いことに慣れてきたらば、自分だけが飢餓感にとらわれていることが悲しく思えてきた。
その気持ちを自覚したのは、(本当かどうか知らないが)松ちゃんが若いタレントの娘さんとネズミーランドにいき、そこで渡したプレゼントが「クマのぬいぐるみ」だった(らしい)ときいたとき。
いまどき、ぬいぐるみ(しかもクマ)で喜ぶ娘がいるもんか、とそのとき思ったのと、ネズミーランドに二人きりでいった、ならまだしも自分はごっそり取り巻き(事務所の後輩)連れているってのが。
この光景どうなの。
やっぱり、職業柄若い子の感覚理解しとかんと、ということと単に嗜好の問題から、相手が若い娘なのはわかるんだけども、果たして、あの娘の気がひけたからといって、「よし、俺の感覚まだいけてる」ということにしていいものやら。
本当に気を惹かないといけない子は、ネズミに行きたくないかもしれないし、クマを欲しくないかもしれないからね。
実際どうなのか知らんけども、しむけんとターゲットが被っているのも。
これはリアルとかげのおっさんでは。
時を同じくして、松ちゃんの(とくに歌番組の司会での)「加齢臭」という発言が増えたように思う。
もうコントしなくていいかも。