чистый

かもんかもん


http://d.hatena.ne.jp/CastleDragon/20041212ドラえもんに能書きをたれてみたらば、S様から高橋葉介の漫画思い出しマシターてご指摘をいただいて、読んだことのない作家だったので興味をもち読んでみた。
もしかして、ダイジェストに編集してあるのかもしれないが、ハイテンポでサクサク展開しながら、しれっとシュールな展開。
怪しげな材料でソーセージを作る工場で働く女の子が、最後に自分もソーセージになるお話、って説明すると、自分で書いていてびっくりするが、実際びっくりな漫画なのだった。
昭和56年の作品。
ホラーとかいうほど洗練されたものじゃないのが逆に怖い。
何が怖いかというと、「よーし人を怖がらせるぞ」と思いながら描いた意図的なものじゃなく、作者の目には世の中がこういう風に実際みえてしまっているんだろうと想像させるところが怖いと思う。
子供のとき、「ラーメンの屋台でスープの中に人の指がはいっていましたよー」っていうニュースがあって、私はテレビをみながら度肝抜かれたのだが、そういえば、昔はドブに蓋もなくて汚水がゴボゴボいいながら流れているのをダイレクトに視界にいれていたのだし、よせばいいのにそこで遊んで、たまにミスってドブにはまる子供なんてそこいら中にいたし私もよく落ちたもんだった。親に許可とらずに食べるもんなんか、牛とか豚とか描いてあっても実際何の肉だかわかりまてん、という認識をはっきり持っていた記憶がある。
かつてこんなニオイをかいだことがない!と、鼻だけじゃなくて鼓膜まで痛くなるような汚臭を放った公衆トイレとか、道端にうち捨てられたエロ本が雨に濡れそぼって、そのたび卑猥さを増していく様子とか、あんな強烈なもんがどうして忘れられようか、と思い出されるが、思えば最近、身の回りがやけに清潔になったもんだ。思い出してみると鮮明だが、よくも昔から清潔な場所にいたような顔で生きているものだな自分。
青い鼻汁たれてる子供とかもたまにしかみないし(そのかわり、パーマかけられたり毛の色を抜かれたりした座敷犬みたいなガキはみる)、晴れの日でも素足に長靴で人んちの塀に登っている子供とかまるでみかけない(暗いところで光るギラギラのついたカコイイズックのガキはよくみる)。
まあ、今でも腐った生ゴミで作った餃子が売っていたりするが、いつの間にか自分が食べ物を信頼しているから憤慨するのであって、昔だったら「ほれみろ」的な対応だった気もする。
腸詰工場の少女は私に、なぜか木製の蓋がしてあった和式トイレの恐怖*1とか、数人の子供で某工場のエリア内に侵入して悪夢*2を目撃したりした、不潔な記憶をみるみる蘇らせる。
続けて他の作品も読みたい、という気もするが、しれっとあっちにいったまま戻ってこれなくなりそうな予感も。
なぜって、清潔さよりも不潔さのほうがなぜだか朗らかな記憶として脳裏にある。不思議だ。
とりあえず、当分のあいだ腸詰は食べられない。
これはギョウチュウ博物館にいって麺類がオール食べられなくなったショックを上回っている。ひー。

*1:ぎりぎりに駆け込んだトイレに蓋がついており、私はこの蓋をどうやって開けるか悩んでいるうちに自分がオープンしてしまい、全理性を総動員しても中断することが出来ずに満開になった。当然すべての水分を自分で舞いかぶったが、人に指摘されることを恐れて何食わぬ顔でトイレから脱出、その後夕方まで汁ダクのまま遊びきった。なんてガキだ。ちなみにその蓋というのは、鍋の中にいれる落し蓋状の蓋そのものな蓋。なぜ和式トイレに蓋を?

*2:いつもはかかっている鍵がその日に限りかけ忘れてあり、ウホウホ状態で明けてはいけない扉を開陳すると、中で山下清風な成人男子が、ちっこいおっさんに全力でタコ殴りにされていて凍りついた