Какой прекрасный вид!

ひなたぼこ



人並みに、「朝までドラクエやっちゃったー」という過去があるが、それ以後ゲームは必須アイテムというわけではなかった。
なにせファミコン時代のことだったので、仮に私がOK状態でも長時間のプレイにはハードのほうが持たない。あるとき画面が真っ暗なままばっくれをかましたので、お客様センターのようなものに電話をかけると、「長い時間遊ばなかったかな?たまにはお休みさせてあげてね」などと悪びれもせずに言われる。
世間がとっくにプレステの時代になってもまだ私の創世記は続いており、人からいらなくなったファミコンをもらって鬼太郎だのQちゃんだのいって喜んでいた。
人の体の構造と、ファミコンの体力を考えると10面ぐらいが限界だとおもう。続ければ続けただけステージは登場すると思われるが、「ちょっとタンマ」ができずに延々とび出してくる犬をよけながら飛び続け、毛のはえ目玉親父を探して流離い、いきなりでてくるぬらりひょんを毛針で攻撃し・・・とフルスイングを続けると、眼精疲労により脳波はハメハメハになっており、腕からは握力というものが使い果たされ、無理な姿勢を強いられた体は立ち上がって歩きだす方法を思い出そうとしないと思い出せない。
一夏だけ遊ぶことを許された蝉のように。
ああ、セーブができたなら。前回の続きから今日のプレイができたなら!
メラメラに熱くなったファミコンのはかなげな本体をみながら何度思ったか知れない。
そういうことだったので、プレステでしかもRPGとかに手を染めた日に、私が猿になったことを誰もとめることができなかった。
私が超アークザラッドを好きになっても、それは仕方のないことと言える。
Ⅱを終えたあとにⅠをプレイし、Ⅲを、早く私にⅢを!と叫び続けて数年。忘れた頃にひょっこり発売されたⅢの落胆。最後までいけたのは懐かしさと愛着からで、ゲームそのものは。
ついにアークと私の別離のときが訪れたのかと悲しかった。
街でアークに似た誰かをみつけるたび、もしやアークかと追いかけてみたりもした(嘘)。
ラマダ寺の坊主たちは元気でやっているの?シャンテは今日も歌っているの?
もう心配で心配で。

このたび、精霊の黄昏(実質Ⅳ)に着手。
また私にアークな日々がカムバックしてしまった。
モンスターのキモさがたまらない。Ⅲに比べて、パーティーのバランスも絶妙なのす。
私の好きな武器は飛び道具で、これは敵と距離をもって戦える上に、相手に反撃される心配がない。
打撃に強く直接攻撃しかできない斧や剣をもったキャラを人柱にして、背後から飛び道具で攻撃、さらにその後ろに、打撃には向かないがMP値の高いキャラを配置してがんがんキュア(HP回復)。
アークの、何かしらアクションすれば何かしら経験値がもらえてレベルが上昇する、というシステムは素晴らしい。全てのキャラを捨てずに使い切ることができる。
万遍なくキャラを育てることができるので、最後まで全員で心をひとつにして戦えるのだ僕らは!
アークたちは私の猿心に満身で応えてくれる。
ターンが回ってくるごとに、「修行に終わりはない!」「すぐに楽にしてやる!」「元の世界におかえり!」とセリフをいいながら攻撃するのがたまらん。HPの残量が少なくなると「そろそろ俺もだめかな・・」「まだまだぁ(強がり)」と芸が細かいのがなによりの萌え。
ふらふらしているキャラに薬草を与えると「人の助けなどいらない!」と怒鳴られて、私は痺れたよ。
よっしゃいくでー!と私が声をかけると「俺についてこい!」と応じる周到さ。

ゼルダを作ったクリエーターが、本気とも冗談ともつかないことをいっちょりました。
ときめきメモリアル(バーチャル恋愛)の需要があって、ピカチュウげんきでちゅう(仮想ペット)の技術がある。ピカチュウシステムでときメモを作ったら、究極の萌えゲーが作れると思うけど、誰もやらないっす、と(ゲーム屋さんもそこまで魂売ったら次がないという意かとおもわれる)。
私にとって、PS2でアーク、っていうのはもうその「これは反則だよぉ」の一歩手前まできておりまして。
どうしてⅢがあんなにつまらなかったのか今となっては不思議。
Ⅱであんなにがんばったのに、結局世界は崩壊し、3年後の設定なのにほぼ元通りに復興しとるんですよ。別にいいんだけども元勇者としては納得いかなんだ。
Ⅳのキャラたちだが、どいつもこいつも木彫りの民芸品のような濃い顔立ち。私はこの暑苦しさを待望していたかもしれない。
いつのまにか魔族というゲロい種族が登場していて、主人公は人間と魔族のハーフだったりする。たまらん。たまらんよ。