заблудйться

なまこなまこー


あーうちのブライスに着物を着せたいなあ!と昔作った着物をひっぱりだしたり、前に買った着物をいじったりしていたが、どれもいまひとつ高揚感に欠けるのである。
やっぱりこう、気分は豆千代
シンプルは素敵だが平凡はつまらない、個性的なのはいいが変なもんは変、で洋服と同じくなかなかままならない。
裁ったまま数ヶ月放置していたものを完成させたり、奥をヲチして唸ったり、千代本をみてため息をついたりしているうちに、頭の中がそのことでいっぱいになってしまった。脳みそのかわりに総絞り縮緬がつまった感じ。ま、私の脳みそはもっとツルッとしとりますが。
和服に裏地をつけることはできるのか?
実際、裏地つき和服を装備したブライスをしばしばみかけるので不可能ではないんだろうが、なんかよい手があるのだろうか。
裏地つきコートを作った手順を脳内で反芻する。洋服の場合、裏地と表地の淵に最後のミシンをかけるときには、袖の長さを利用して表地と裏地を重ねているのだとおもうが、和服の場合、袂の存在が未知数だ。
何度か脳内シュミレーションしているうちに、これはもう現物を作ってみたほうがええ、という結論に達してお得意の見切り発車でGO。
纏り縫いせずにどれだけ裏側におさめられるか耐久。

和服のわきの下というのは何度みても驚きの無防備さだ。
なぜあそこに穴があいているのか。
一説によると、「通気のため」。むしむししてツーン、とならないために。俗説によると、「男子が女子の懐に手をつっこむため」というのもある。あんなところから、やおら手を突っ込まれて喜ぶ者がいるだろうか。触っているほうも何を触っているのかわからん状態だろうに。つけ乳首かもしれんだろうに。
これには豆ポチの女王シャラポワちゃんもビクーリ。
とかそんなことはどうでもよく、このわきの下にある謎の小袋をいかに収めるかで難儀すること数時間。
中表(生地の表同士を合わせて、裏側から縫う状態)に縫っていると、どうしても「表はどうかな?どうなってるかな?」というのが気になって、つい表に返してみたくなるのだが、返せば返すほど縫い目に負担がかかるのでほつれ、もつれ、ガタつき、あがき、苦しみ、とやっているうちに本当に頭がごっちゃごちゃになり、手元にある布切れもボロくやつれていくのが悲しい。
裏地をつけた服を作ると、なんといっても最後に表に返すときのワクワク感がうれしいのだが、振袖の袂はなかなか顔をださず、後ろから指で誘導すると、ナマコかなんかの内臓を解剖しているような妙な気分になる。
IQテストなどでよくあるような「この形を裏返すとどの形になるでしょう?」を延々考え続けているので、何をみても分解して裏返した状態にしてみたくなる。表にかえすとなんということもないのに、ホント、人形服の裏地は万華鏡のような無限ナマコ地獄なのだ。
で、このナマコ体験をくりかえし、せっせと鉄壁の裏地和服の開発を進めていると、気分はテーラー、というよりも女工哀史
もし私がバレリーナだったらば「だめですコーチ、私もう白鳥になれない!」とばったり床に崩れ落ちるぐらいに背中がミシミシ言うており、なんかこのやりきった感がまた気持ちよくて二日間もひきこもってミシンをかけまくってしまった。
そして毎度おなじみ、縫い終わって憔悴した自分の顔を鏡でみて、お前は人形に晴れ着をつくっとる場合かあ!と思う。
一言で表すとやっぱり「腐」てかんじ。