опытный

僕らいつも雨降り

蕁麻疹がだいぶマシになった。とはいえ完治とはほど遠く、二次被害として色素沈着に悩みはじめる。
今日は診察の日だったので、そのことについて医者に質問してみると、ウィルスの疑いがあるので別の専門医へ行くべしといわれる。
近くだったのですぐに行って見ると、診療時間ギリギリセーフで見てもらうことができた。
私の首で色素沈着しているのは蕁麻疹ではなくて潰瘍だという。
それだけでもビビリングだというのに、その潰瘍が「老人性」なんですって。(あまりにもショックでまるで他人事)
本当に、アテクシの老化はとどまるということを知らんな。
老人という言葉が脳の中でリフレイン。
バールのようなものでぶん殴られたような衝撃を受ける。
まだ学生のとき、私はパン屋でバイトをしていて、レジでモサーとたっていると、多種多様なお客様がいらっさる。
その中に一人、「生き物紀行」とかに出演を促したくなるようなちっこい婆様がいた。体の色んなところから、「ちょうちん」のようにイボをぶら下げている。その数がおびただしく、顔にも首にも腕にも手にもちょうちん。
水の中で暮らす生き物とも見えるし、サバンナを駆けるまだ見ぬ草食獣とも見える。
胞子を内包した海草のような。
今まさに爆ぜんとする種のような。
人の額から親指が生えているという状態と同義といっていい、あるいはそれ以上の珍妙さ。
顔や手を洗っても、うつむきながら本を読んでも、そのちょうちんイボは当人の視界にはいるはずで、自分のイボを鏡を使わずに自分で確認できるような状態はなんらかの重篤さを感じずにはいられない。しかし、本人はいたって平然と悠然としているのがかえってちょうちんと婆様の存在を一体化させており、「あのちょうちんは邪魔ではないのでしょうか?」と先輩に尋ねてみると、「お客様の顔をジロジロ見ないように」とたしなめられたものだった。
私にとって、潰瘍といえば思い出されるのはあのちょうちん婆であり、「老人性」とまで言われてはますますちょうちん婆を他人とは思えん。
なんとかするにはもっとでかい病院へ行かねばならない、といわれたので、もちろん行った。行きますとも。
診療時間が過ぎていたので、私としては急患で扱われたほどに切羽詰った状況ではあったけれども「出直し」を命じられた。
それはもう暗いCRY気分で失意の帰宅。
ネットでググりまくると、場合によっちゃあ子供にもできるごく良性のものなので気にすんな、気になるなら病院にいけばとってくれるからいってきな、と。
「私はハサミを使って自分でつぶしています」とかいう兵の体験談までたどり着く。
来週にもまたあの白い巨塔へいって軽やかになろうと思う。
それにしても、いつも見ている場所に自分の知らない間に潰瘍ができるだなんてそんなことがあっていいのだろうか。
ちうか、イボってさ!

うろんな客

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