麺の達人、ポチの凡人

油断するなよ

やっとクーラーなしOKの気温になってほっと一息。
休みの間、涼しくなっていたらやろう、と決めていたことがワサワサあったが、涼しさに本気で和んでいるうちに休みが終わってしまいそう。
暑さで頭がボーっとするのはわかるが、涼しい今日もまた頭がボーっとしていたみたいで、なぜか祭りの開始時間を10時と勘違い。
夕飯を終えてPCの前にフラリとやってきたのが8時ジャストだった。
クリックした途端に祭りが開始して、何の心の準備もないままに参戦してしまった。
クッキーが切れていたのには本気で眩暈がしたもんだが、どうにかなった様子。
いつも祭り開始前30分ぐらいからお腹が痛くなったり、手が震えたりと緊張するが、今日はあまりの緊張感の無さに自分が恐ろしい。
予定とまったく違う行動をとってしまったが、骨髄反射だけでポチったので逝けただけよしとしよう。
なぜ、何度もメールをチェキしたというのにこんな盛大に開始時間を勘違いしていたんだろう。
数が多かったみたいで命拾いしたぽい。

手打ちうどんに挑戦した。
フープロとパスタマシンを使う、というズルをしているため、それなりのものがちゃんと出来上がって満足。
ふるまった人たちにも好評だった。
食べた人誰もが「おいしいキシメン」といってくれた。
私はごく普通のうどんを作ったまでで、キシメンを作ったつもりはない。
なんとなく幅広になってしまったのがキシメンの雰囲気を漂わせてしまったのか、それとも私がうどんだと思っている形状が本来はキシメンと呼ばれるものなのだろうか?
イタリアンな麺はまだ上手に打つことができなくて、出来上がりの「らびおり?にょっき?」みたいな姿がちょっとトラウマになっていたが、キシメンの成功に気をよくして、これから色んな麺を制覇していきたいと思う。

うどんのツユを作るとき、いつも色の濃さで悩む。
前に仕入れたトリビアによれば、関東の醤油と、関西の醤油(色薄い)では、関西のほうが塩分は高い。
これは、関西の人が関東のうどんの悪口を言うときの常套句「辛くて飲めない」に一石を投じる事実ではなかろうか?
関西を旅行したとき、確かにうどんを食べて美味しいと思った。
でも、関東のそれよりも明らかに色の薄い汁を飲んでも、私は「味が薄い」とは思わなかったんである。
濃いとか辛いとかも思わなかった。普通に丁度いい。
で、関東のうどんを不味いと思って食べてるわけでもないし。
関西の人が、自分のところの「味」を自慢するために、関東の「色が濃い、味が濃い」を引き合いにだして貶すのをとても不思議に思っている。
色が濃いから辛そうに見える、というのを責められてもどうにもできないし、色の薄い出汁を見て不快になったこともないので、どっちの肩も持てない感じだ。
それよりも、これから食べるもの、今食べているものの悪口を傍らで罵られるほうがずっと問題視されるべきじゃないのか。
本当においしいうどん、というのが存在するとして、それは関西地区でも関東地区でもない場所にあるのだろう、と思っている。
自ら手打ちすることで、いつかそのうどんを我が手に(というか我が舌に)、と思っているのだが、食べたことがないものを手打ちすることなんてできるんでしょうかー?


それにしても、茹で上がったときの状態を想像しながら、手でダイレクトに弾力の強度を調整したり、生地を休ませて水分を調整したりするのがプリミティブな楽しみに溢れている。
で、私が先生にしているレクチャー本には、「麺は打ちたてよりも3.4日休ませたときが一番美味しい」と明記されていて、蕎麦屋などでよくやっている、実演つき手打ち麺、出来立てをどうぞ!みたいなサービスの意義に疑問を持つようになった。
打ちたて美味しい、と信じて食べてきたが、寝かせるともっと上手いんじゃないのか、もしかして?
そこのところどうなっているんだろう。