だから夏は嫌い

一点みつめ

気温が低い!というだけでなんだか幸せを感じる。
もし私が小学生だったら、そろそろ宿題のことを考えるたびに欝になる頃。
もう小学生じゃなくてよかった。
今更ながらに確認しておくと、「そろそろ入梅したところがあります」という報告を聞いた記憶はある。
そろそろ関東も梅雨です、というのも聞いた気がする。
そうか、もう梅雨なのか。
そのあと、雨がない、雨が降らない、梅雨がこない、とずっと思っているうちになんだか夏みたいに暑い、これはもう間違いなく夏だというぐらい暑い、とても暑い、思考力低下。
で、梅雨は?きたのかこなかったのか。さすがにもう明けたんだろうが、いつ入ったんだ?
そして、夏はいつまで続くのか。
悲しい記憶を辿ると、9月になっても「真夏並み」というふざけた天気もあった気がする。
まだ気が早いかなーとおもいつつ、夏サバ、秋ボンジュールであることを祈る。

この夏の間に、あまり気が進まないが後学のために、未来の自分のために書いておかねばと思っていたことがある。
記憶整理もかねてトライしておく。

2007は、私にとって新しい扉がひとつ開きかけた年だった。
まだ開いてはいないけれども、それまで思ってもいないところに扉があることに気付いた。
これは不思議なめぐり合わせといえるのかどうか。
去年はお友達のところでペットが亡くなる年でもあった。
文鳥、にゃんこ。年末にまさかのワンコ。
私には、大物ペットを愛でて世話する甲斐性がない。子犬や子猫を家族として迎え入れようとかいう衝動そのものも自分の中にはない気がする。
これから先はわからないけど、とりあえずこれまでなかった。今もない。
ところが、ペットを亡くして悲しんでいる人の姿には親近感を覚える。何故か。

2006年に近しい人が亡くなった。自分にとってはとても大きいこと。
受け入れがたい気持ちの中に、それまで自分になかった、受け入れられないものを一次預かりするための保留の領域ができた。
日常と保留の間をふらふらしながら、キャッスル婆の寝顔をみつめていた。
病院の一室。ずっと続いていくような穏やかな夏の夕方。
西日のきつい窓の外を見ると、雲がオレンジ色でそこから藤色のオーロラのような帯がひろがっており、その後でゆっくり日が暮れていくと、漏れた光が金色で神々しい。
宗教画のようだ。祝福されているようにさえみえる。
しかしそんな平和も、熱がでた、尿がでない、吐血した、とかいうことであっさりと壊れてしまう。
もはやこれまでかーと祈ったり転んだりしながらキャッスル婆の闘病につきあい、自分の背後に数珠のように連なったご先祖様の行進が万里の長城みたいになっているのがわりと当たり前に見える見えるよくミエールになったりするのを振り払ったりしつつ、今自分は幸せであり、多分これは平和であるがもうすぐその日がやってくるきっとくると怯えて過ごしていた。2006年の保留は保留のままで。
平和と震撼を何度も繰り返すうち、保留の領域がかなり込み合ってフリーズ。
医者から呼び出されてやたらクーラーのきいたシベリアな小部屋に軟禁される。
人の体の中で、血管というのが川の流れとしたら、心臓は水車のようなものです・・・というわかりやすそうでわからない説明がなされる。
婆様の川はもう流れない。ここまで、何度も停止しかける水車を無理やり動かしてここまできたけれど、今はその水車も壊れて修理ができない状態。老朽化した水車は、崩れおちて風化してもう水車ですらないのかも。だから覚悟をするように。
覚悟はしていたけれど、いざそう言われると動揺する。動揺の中、でも今までも、そんな中から持ち直したこともあったのだからと無駄にポジティブさを発揮してみたり。
しかしポジティブをきどっている自分を冷静に見ている自分もいたりして、自分の本意がどこにあるのか、自分のコアの正体が一体どの感情なのか自分でもわからなくなった。見極めようとしたら疲れてしまった。
そして2007年の8月に、病院にいく仕度をしていたら腹痛を覚えた。
チクチクする痛みが深みエグみを増していき、床で倒れこんだ姿勢すらままならないぐらいにマックスに達したときなんとびっくり、私から血が出た。
いわゆる下血というもので、鮮血があまりに鮮やかな鮮血をしていることに衝撃を受ける。
腹痛と脳貧血のダブルパンチで全身から雫がポタポタ落ちるぐらい脂汗をかき、霞んで見えない視界に、血の地平線がみえてしばしこの世の果てで屍となった。
結局病院送りになり、入院しろといわれ、腸に内視鏡をつっこまれるはめに。
昨日まで見舞う立場だったはずなのに、いきなり当事者となって見舞われる始末。
超腸プチカメラの視点により、自分の腸の映像を見た。
人間ちくわ説(レイz−羅門RGが唱えている説:人間は口から肛門へと抜ける穴をもったちくわである)にめちゃめちゃ納得。自分の内臓でこうも膝を打つとは。
私は筒です。ちくわです。喜びも悲しみも、私の中の私として真摯に受け止め傷つき、自ら癒えていく腸を愛おしく思った。
地平線体験が、私に保留を保留としてやり過ごすことを学ばせた。
習得はまだだがそんな忍法があることを示した。
私が横たわったあの地平はどこにあったのか。婆宇宙のうちに私は誘われたのではないか。
これが婆からの最後の言葉ではないか。
そして婆様はお別れも言わずに行ってしまった。
内視鏡に続いて胃カメラものみ、のんだとおもったら出棺だ、というドラマティックさ。でも時間は静かに平凡に過ぎていた。
私の腸は黄泉の国へと続く腸。

思い出すと悲しくなるのに、私はこの日のことを何度も思い出してしまう。
沢山の苦味を飲み込んだあと、最後に口に残るのは甘み。甘汁のためにわざと悲しみを反芻している。
婆様のいた部屋、座った椅子、使ったコップ・・・と持ち主だけいない部屋を眺めていて、多分、私は婆様のペットだったんじゃないのか、とおもう。
ご主人様がいなくても、ハチは静かに駅で待つのだ。
今の私の気持ちは、飼い主を亡くしたペットの気持ちなんじゃないのかと。
面倒をみてもらう、世話をしてもらう、育ててもらう、甘えたいときに甘え、逆らいたいときに逆らって、馴れ合い、喜ばせ、笑わせて遊び、怒られて暴れる。
今更ながらに、自分のワイルドぶりが恐ろしくなった。
どんだけ野良!
ああゴロゴロ言いたい。膝で丸まりたい。
用もないのにそこらを練り歩き、邪魔だと邪険に払われたい。
飼い主との日々と甘い汁。
ちくわ忍法と鮮血地平線。
ところどころおぼろげに、あるところは鮮明に、私は覚えている。
でもまだ、これが本当の出来事かはわからない。時間が真実を告げるとして、その日がくるまで、私はあと200年ぐらいは黙って待ってしまいそう。
1年過ぎた。あと199年?それは長い時間ではない。あっという間に過ぎていくことを私は知っている。