手帳もう決めた?

もう二週間切ってるの

この一週間ぐらい、PC立ち上げるたびにほぼ日手帳を検索してムームー言う日々。
もう手帳は買ってあって、去年、今年と使ったモレスキン
だからもう他の手帳を見たところで仕方がないんだけど、カバーとカバーの間に何か挟んだりしているのをみたりするとしてみたくなってしまったりする。
一日一頁、一日の時間が割り振ってあるというのはモレスキンと同じなんですけどね。時間が割り振ってあるとどんな風に便利なんかなーと思いながら人のレビューを読んでいた。
モレスキンに時間が割り振ってあることには今日気付いた私なのです。びっくりだよ。
一年分インデックスというのもモレスキンについている。
私はなぜか、このページを水槽掃除の記録に使っている。
モレスキンの欠点は一か月見開きがないところ。
自分で印刷したものを挟んでよしとしているんですけど。
(別のバージョンだとついているものもある。なんで全部につけないのか不思議)
ラインがただのラインじゃなく、升目になっているのは書きやすそう。
あと完全に平らに開くことができる、っていうのも。
モレスキンにはペンを指すところがないので私はTERRY ENGLANDのホルダーを表紙にくっつけている。
このせいで、左側の頁に何か書くときちょいと不便なんです。
綺麗に写真をレイアウトしたり、透明フセンをはったりした頁をでーんとひらいて写真にとり、ブログにうpしている方がたまにいらっしゃるんですけど、あれ見るの凄く楽しい!
私の手帳はとんでもないことになっているので人様には見せられないかんじ。自分で読んでも意味不明なところがあるくらいなので。
でも手帳をモレスキンにしてから、手帳を使い切る度数は飛躍的に上昇しているのです。全ページ何かしら書いてある。
ほぼ日手帳にする前はこんなに書きませんでした、という人がいるので、手帳の形状、コンセプトにより人に何か書き込みたい持ち歩きたいと思わせる手帳とそうでない手帳があるのは明らかなのだ。
なぜモレスキンなら書くのか、自分にも謎の展開なのだけれど。
白紙を見ると何か書きたくなる遺伝子的なものが存在してるのか。
余白が埋まったとき、実際のところはまるっきり棚上げな状態で自分にカリソメの「充実」を認定して喜んでいるのかも。
手帳に予定がないと「リア充」(仕事とかじゃなくリアル私生活の充実)が不足しているのを実感して虚しい、とレビューしている人がいたし。
小さい写真、具体的に言うとチェキでとった切手ぐらいの画像による記録というのはやりたいと何度も思った、今もやりたい。
でもチェキって本体はそれほどでもないくせにフィルムが高いんですよ!
ほぼ日ストアで売ってる小型プリンターも、新色チェキも可愛くて欲しくなり、あやうくフラっと逝きそうになった。
手帳に格言とかはいらないと思う。
あと何か、追い立てるように月ごとに頁の色を変えて無理に楽しげにしてあったりも・・・・
結局それでモレスキンなわけじゃん。
今更血迷うなよ、と。
でも楽しいのでレビュー熟読は続行予定。
結論がでない手帳問題もあって「使った手帳はどうするか」。
2009の手帳を使い始めたら、2008をどうすんだという問題。
例によって聞きかじりの風水によれば、んなもん捨ててしまえ、と。
一年分の自分の執着と成功と挫折と喜びと悲しみとを全部書きなぐって、新年が来るや否やずっぱり切り捨てる!まるでヒトゴトのように。
それもいいな。
過ぎたことなんてすべて捨てたらいいな!
でも記録として必要なこともあろうかと、いじいじしながら2006の手帳を隠し持っている私。
捨てるほうが自然だ!と思える日がきたら捨てようかなとおもう。
その日、凄く気分がよいのではないかーと想像している。