ディナー

はるさめ

なんだかハンバーグのぽーたーぱうんだーなんちゃら?と呼んでいたものを今日初めて食しました。遅ればせながら。
そして食べながらこう考えた。
よく、死ぬ前に食べたいもの、最後の晩飯なんにする?という質問ありますよね。
お寿司もいいし焼肉もいいしパスタもいいしラーメンもいい・・というかんじで最後の最後と考えると、とてもその食事を最後に死ぬ人とは思えない食欲を見せてしまう。決めかねてしまう。
私が思うのは、食べたときに、「あ、思ったのと違う味」と思いながら食べるのは美味しいものでもなんか違うなーということ。
「そう、この味」とおもいながら食べたい。最後の食事。
パンにはんばーぐが挟まったコレはいつも同じ味で、そして私はそれが大好き子であり、最後の食事、コレがいいかもっ。
で、ぽーたぱうんだーの味はいつもの味とそんなに違わないような?と感じてしまった。こんな舌だからいつものアレが最後でお似合いじゃないでしょうか。
猛烈に悲しいときにはんばーぐとパンのことを考えることってあまりないけど、あ、なによこれちょっと悲しい・・という気分にアレはとても合う。
今日、悲しかったので食べたくなったんだった。
ちょっとした悲しみが降り積もるのも、大きなショックと同じぐらいしんどいもんがあります。

安全地帯とふぞろいのボーロのカポーはなんか楽しいニュース。
暴力、罵り、謗り、妬み、嫉み、ボーロ、映画化の果てにこんなファンシーな世界が開けていたことがかつてあったでしょうか?
人のことだから面白いだけで充分なのに、説得力もあって素敵です。お得な気分に。
本人たちのつながりとかナリソメとか、他人が理解できることは一個もなくひたすら「お似合い」とだけ言いたくなるのが見て楽しいカポー。
ああなるほどな、と頭で理解できる理屈つきのカポーは見ても面白くないんだよ。
唐突で思いがけないのに、お似合い!
この先どうなるんか知らないけど元から知ったこっちゃないからE−。

どうでもいいけど、私、ふぞろいのボーロを道で見たことあるんす。
外国の、とくにヨーロッパだとかに比べて、日本の町並みってなんて美しくないんでしょう、みたいなことを言う人がいるけど
・通行止めに使った薄汚いコーン
・壊れた看板
・脚立
・下世話な張り紙
・安っぽいビニール傘
と、ツーショットしたくないもの満載の道端でもふぞろいのボーロの美しさ、プライスレス。
そこだけ人並みが途切れてモーゼの十戒
海が割れて地面が現れた!みたいに世界の中心がふぞろいのボーロになってた。
よく行方不明になれたなあとおもう。
今現在もある意味行方不明なんだけど、髪をかきあげただけで世界の時間をとめるような、「エエもんみました」体験を私はなるべく忘れません。