だめだめ

ポー

俳優のリバー・フェニックスが亡くなったとき、交際していた女優の
「彼はとても純粋な人で、アーティチョークが好きだ、となったらアーティチョークばかりいくつでも食べ続けてしまうの。麻薬が動物性だったら(彼はベジタリアンだったから)、こんなことにならなかったのに」
という言葉に情けを感じた。
そしてレスリー・チャンがなくなったときの映画評論家のコメント。
「スターなのだからもっと強い人であったらよかったのに、老いを受け入れる人であればよいのに」という別のコメンテーターの言葉に、「でもレスリーはそこがいい。繊細で弱くて儚くて美しいところが彼の一番の魅力だから」というのもよかった。
死んだ人を惜しむからには、ダメフィスなところも愛していこうよの精神。
マイコのダンスがスゴしだったのは、マイコがそれだけ踊りまくった結果なんだろうし、なぜに踊りまくったかというと、リバーがアーティチョークをエンドレスのごとしなんだろう。
好きすぎて止め方わからねえ、みたいな爆裂な執着。
思えばおかしな人なのは晩年の話だけじゃなく、あの衣装であの曲であのパフォというのがすでにクレイジーだったかも。あのとき気付かなかった。かっこよすぎて、眩し過ぎて、あまりのマンセーに、吟味したり批評したりする気持ちがすでになかった。

何歳なのかとくに気にかけたこともなかったので50歳といわれても。
「人間でいうところの50歳程度」というような表現なら多少はピンとくるか?
早いとか遅いとか私の時計ではカウント不能な気がする。
江夏が逮捕されたときの大島渚の気持ちもこんな風か?
”あれだけ人を楽しませたのだから、もし罪があったとして減刑はあって当然である。”
最近ずっと、黒い日傘で黒い服でなんだかいつも追われるように・・・
という姿しかみていなかったので、ハレハレキラキラMTV全盛時代でしょでしょ登場のころの、カッコイイお兄さんの姿を見たら、ロマンチックがとまらなくなってしまった。
マイコのダメフィスからこんな偉業がなされたかとおもうと
ひきかえにした痛みの大きさがしみじみと「大変だったよね」といまさらに想像され、この地球にマイコ大好きッ子は☆の数ほどいるだろうに、オラたちみんなの元気玉を集めてもまだマイコを元気にできないなんてそんな馬鹿な!
死ぬ前にもうひと花咲かせてほしいなんて贅沢言ってすみませんでした。
ずっと元気で健康でいてほしかったとおもいつつ、朝からジムでマクロビで、スーパーモデルとヘラヘラしているマイコがいいのかっていうとそんなことを望んでるわけでもなかったの。
幸せでいてほしいといいつつ、うっすら不幸でいてほしいという腐ったお茶の間精神ですわ、すまない。

ここのところこんな風に、私の昭和のもっともはしゃいでいた時代が突然伝説となって消える。
ダイアナ妃の前で、「日本のマイコ」と大風呂敷で踊りまくったトシさんの記憶とか蘇ってもうどうすりゃいいのか。
昭和を愛するならここも愛せか。
心肺停止の速報をみてもなんだこの東スポナイズされた地上波は〜と最初はまるっきし本気じゃなかったの。
マイコフリーク侍の生存確認のためにメールしようとしたら
メール送信する方法がわからないぐらい動揺してきて吐きそうになった。
大丈夫?といおうとおもったら自分が大丈夫じゃなかった。
マドンナ様が私より先に死んだらどうしよう。
すっごいダメージ。想像しただけで涙の子だ。
さよならしたくない。マイコいかないで!