社会性というもの?

なんという4月

こここここ怖くてどうぶつの森にいけない&DQどこまでいったかわからなくなり&世界樹のシステムも思い出せなくなっている!
せっかく育てた私の村&チームはどうなるのだろう。
私はもう合流できないのでしょうか。
おおおおお驚きのもう4月!
本当は二月に開始する予定だったトワイライト祭りをやっとスタート。
予定が二カ月もずれるとは恐ろしい。

ハッと気づくと庭が緑。
枝だけですっきりしていた樹木がもうモッサモサじゃないですか。
芝生がススメノカタビラにのっとられているじゃないですか。
毎年のことなのにすごくソウルにダメージをくらうじゃないですか。
かといって、こんなに雨降り続きじゃ芝刈り機も動員できず、手に負えないものがさらに荒んでいくのを目にしながら手をこまねいているだけだよセツナイ。


ttp://blogs.yahoo.co.jp/cdhxj922
掃除のモチベアップのために見ているブログ。
見ているというか見ずにいられないというか。
最初はチャッチャと片付く様が気分良くて見ていたんだけど・・・
なんだろう、ずっと見ているとモヤモヤするこの気持ち。
家の中、部屋の様子がその人の内面なんだ、というお話が本当だったとして、こうやって、掃除(およびそのシステム作り)を人の手にゆだねるということは、自分の心情の中に他人をいれるということなのか?
「こうありたい」という状態を目指して、自分だけじゃ手に負えない部分をプロに頼むのもありだと思うんだけど、この便利やさんという人が、「片付けられない」「捨てられない」人にやたら寄り添う姿勢を見せるのが仕事とはいえ自分は違和感を覚えるな。
私の場合、そんな近くまで他人が寄ってきたら逃げたくなる。
さらに、何かの拍子に自分もここまで物に執着して、1000年分の服を、これからも着ないと確信しつつダンボールにつめこんで、物置部屋の天井までぎっしり積み上げる、それをおかしいと思わないというような事態になったりする可能性があるのか?とか想像するとゾワーっとなる。怖い。
綺麗な新築一戸建てをゴミ溜めにしたあとカラボまみれにするもったいなさ!
別に誰かを責めたいわけじゃなく、自分の中にもこういう種子が眠るのか?と考えるとそれがひたすら怖くてたまらん。
あとやっぱり、玄関〜リビングのあたりまでその家をみたら、どう取り繕ってもやっぱりその家の状態、管理や生活している人の人となりってのは隠せないのかもしれない。
暮らしている本人たちのほうがよほどその家の事情に疎かったりする可能性も浮上だ。
自分ちをどう汚しても本人の自由じゃないかよさ!という気もあり、掃除したら掃除したで疲れ、しなきゃしないでまたいらん気持ちに自ら苛まれのループが哀しすぎる。
掃除というのは現代においてはお遍路とか写経なんかの部類の修行なんだとおもう。
ブログの人が書いていることは本当のことばっかりなのがまた悲しいよ。