男の徹道。

どうするかねえ

セルフでワキガの人は、匂いに慣れてしまってセルフでは気づいていない、という。
そんな都市伝説をものともせず、今年も自分の脇がくっさいことにちゃんと気づいてしまった可哀想な私。
あ、部屋にワキガの人がいる匂いがする!と思ってから発信源が自分と気づくまでに8秒ぐらいでやんした。
もうなんだろう。脇に竹炭でも挟んで生きるか・・・。
まだ梅雨にもなっていないのにもう匂うかねしかし。

それとは関係なしに「男の子俳優はいつから俳優か」の話。
年末に再放送していたアクター図スタジオに私のアレックがでていて、相変わらず渡辺徹化が顕著であった。
見ていると怖くなるぐらい目が碧く最上級美しい。
腹肉との対比をみるになんとかならんかと切実に思う。
アゴのラインを丁寧になぞっていくと、今は肉に埋まっているかつてのイケメンが浮かび上がってきて、アレックはここに居るけど、居ません、でも居るんだよなあ・・・とずっと見てしまう。
かといって、肉ったアレックが嫌いかというと別に嫌いでもない。
でもなんか喪失感がある。
そのざわざわしたかんじが鑑賞の邪魔である。
これってば、アレックがちょいと痩せてくれたらいいだけの話じゃなかろうか。
お金もあるろうしもうちょい真剣にビジュアル管理してもらえないもんなんだろうか。
ところがアレックにはちゃんと言い訳があったんである。
ちっ、とおもいながら一応耳を傾けていると、ちゃんと筋が通って聞こえる上、これは長い間私が探していたひとつの答えかなとも思った。
アレックの言い分。
「自分の若いころの作品をみると今と違って
とても傷つきやすい青年にみえるのですよ。
観客はそういうのを求めている。
ジョニーデップには守ってあげたいと思わせる雰囲気がある。
女性は彼の髪を編んであげたいと思うのです。
もう守ってやる必要はないと観客に感じさせることができたとき他の役柄が舞い込んできます。」

ホント。自覚なしに自分は、傷つきやすい青年とやらが好きだな、とおもった。
その青年の姿だけを追おうとすると、肉をまとい、アゴのダルダルしたおじさんは「成れの果て」でしかない。
最近須磨プのキム兄みているとアレックの言葉を思い出す。
一時期ほど順風じゃない彼をみていて、これまた自覚なしに、私ってかなりあの人のこと憎からず思っているんだなあとおもう。
年上の女をおばさんとののしっていた男の子はもういないんだ。
そう思うと喪失感がある。
かといって、何をどうして欲しいというビジョンがあるわけでもないが。
アレックは、もう守ってくれなくていいです宣言し、実際でっぷりしたふてぶてしい様子をみると、「あ、ほんとだ守る必要なしだね」と納得できたけど(むしろ膝にのせてくださいの勢い。どんだけスケベか)、キムのほうはどうか?
なんか「今こそ守ってください」的懇願を感じるんだけど気のせいか。
ここはひとつ踏ん張って、アレック的境地に邁進して欲しいもんだ、と思うんだけども、キムが自分の老化を受け入れるときは、アソアソを愛読するような婆どもに(←かといって実在するのだろうか読者)、「あ、歳くったのはお前らもですよ」と宣言する行為に等しく、キム一人が覚悟を決めたところでグズる婆の統率とるのは至難とみる。
婆の「男の子の髪を編んであげたい」ぶりのすさまじさみくびるなよ。
自分は違うと信じたいが絶対違うと断言もできん。
編みたい衝動ヒーハーぱねえ。どうかしてるぜ(言いたいだけ)。
テレビにキムのいる風景、私は好きなんだけど・・・。
そもそも幼少のころよりJをたしなんでいるほうなのでキム単体での評価というのも難しいもんがある。
あと、「守ってくれなくていいです」とアピールしたいがために太る必要はないのよな。
そうやって、話をうまいことすり替える手、というのは若い男は使いこなせないおじさんならではのテクですよぬ。