娑婆も娑婆で

ヲカムラちゃん、たのむよ

雨だというのに水槽の水換え。
天気関係あるのかわからないけど、晴れたときにしたほうが健康な気がする。
水槽部屋と風呂場をいったりきたりして頑張っていると、目の端に発見、頭文字G!!
これ、昨日の夜にみつけたものの逃して大変に気になっていたアヤツと見た。
誰でもそうだと思うけど、私はGが大嫌い。
みつけたときには万難を排して、ヤル!!と決めているのに、昨夜は手元が狂い、納戸に逃げ込まれたまま泣き寝入りして夢に出てくるぐらいショックだったの。
そういうことで無事に掃除機で吸引、掃除機にキンチョール
これでよし、と。
昨夜、Gを逃したあとに私が考えていたこと。
この世からGを撲滅させるのは不可能とそれは認めるとする。
あと、自分が目にしていない、というだけですでに家の中にGが巣くっている可能性も0という証拠などない。
なのになぜ、一度目にしてしまうとこんなにGが気になる?
で、今夜ヤッたアイツが昨日のアイツと同じGだと思いたいけど、今日のは今日ので別のGかもしれないし、昨日のアイツはまだキャッスルでヌクヌクしているかもしれない・・・・とか考えると、なんか胸がかきむしられる!!
いやだぁー!

なんか知らないけどCドライブが込みこみになっていた。
昔みたいに、手当たりしだいになんでも保存したりしているわけでもないのに不思議。
んで、対策としてドキュメントをDドライブに引っ越すことに。
マニュアルどおりにそれは成功したとおもいきや、まんまとCドライブの容量が増えたことに気をよくし、調子にのっていぢくっていたところ、ドキュメントファイルそのものが中身ごと行方不明になる、というアホ展開でがっくり。
なんとか復活させたものの、なんかやけに中身が少なくなってるし・・・。
何が消えたかも思い出せないぐらいなので「まあ、いらないものだったのでしょう」ということで済ますとするが、私が何に震え上がったかって「この時期このタイミングで年賀状ソフトの住所録アボーン??」である。
保存場所がすっとんきょだったのが幸いして無事だったのでよかった。

ながら見していたぬるいドラマにて、「汗水たらした行為しか、結果を出すことはできない。頑張った人しか、人を感動させることはできない!」とドヤ顔の台詞があった。
果たして、そうであろうか?とおもいながらうろ覚えにダルビ嫁のことを思い浮かべた。
汗水たらさずに結果を出したように見える。
私はそのことに感動さえ覚える。
汗水たらしてささやかな成果を得るよりも、ちゃちゃっとダル嫁のほうに教えを請いたいとおもう。人を感動させたい、とかいう気持ちはとくにない。
どちらかというと、自分の行為に自分で感動できたときのほうがイケてるとおもうしっ。
とくに美貌というわけでもないのに女優になり、力があるわけでもないのにそこそこオファーされ、ダルまでたどり着き、なにやらうまいことやっている。
努力した人が何かを得るなんて当たり前の話、努力してもなんの成果もないのが珍しくないのも定説なのであるから、ダル嫁の非凡さはもっと評価されてもいいのではないか?
かといって、ダル嫁にとくに思い入れがあるわけでもないんだけど。
そしてとくに羨ましがる要素もないのだが。
若い女の子ってみんなこんなかんじなのかしら?世も末よね・・・という隔世の感を、なんかそういう気持ちでごまかしながら生きていくこのごろ・・・・。

どうでもいいけど、
ttp://ameblo.jp/shorokawazoe/entry-10700525176.html
ヲカムラちゃん近影が大ショック。なにがショックって身を寄せている先ですわ。
一緒にいる人ですわ。
証拠もなしに勝手にがっかりするけど、薬、やめていないんだね。