はじめてのめがね

かけるんだついにかけるんだ

見えない見えない何も見えない。
いつも一枚霞のかかったところにいるみたいに
近くも見えないし、遠くも見えない。
何もないところを必死に凝視していることもあるし、知らない人の顔をジーっとみていることもあるでしょう。
深刻に見えない、のでやす〜い老眼鏡を注文してみた。
これが届いてもしちゃんと見えたら→近日、いい老眼鏡(いい老眼鏡って?)を買う
見えなかったら?→また病院?
ちなみに、洋物のドラマや映画などは字幕で見る派だったんだけど、この字幕がだんだん見えなくなっているのが深刻に困っていて、二日ぐらい前、テレビのCMで絶対に見覚えはあるんだけどすぐには誰とはいえない人がでてきてだれだれだれとテレビに1メートルぐらい近づいてやっとそやつを「キムタキュ」って認識したときに「あ、私もう老眼鏡買わないとダメだ。老眼鏡でダメならまた病院だ」って悟ったの。とても悲しかった。
キムタキュもタキュでCGしすぎかもしれないんだけど、年始ぐらいにはまだもうちょっと認識できていたはずだから私の目がおかしい、と判断。
白内障とか糖尿とかそういうのだったらどうすんだべ。
とりあえず見えない原因は知りたいけど、闘病するガッツとかないし色々ノーフューチャーだわ。

そんな、曖昧な症状と自覚、視界もままならぬままにまだまだカショオの人の日記や手記を読み漁る。
この1年ぐらいず〜っとダイエットする人の本とか話とか板とかを読んできたけども、
・デブが痩せた途端にデブを見下して上から目線
・痩せられないデブが痩せることの弊害をがなりたてる
・減量している自分に酔いしれた小デブの陶酔
・なぜか、痩せたいのに痩せられない人をみて激怒しているヤセ
・痩せようとしているデブを叱責するデブ
と、なんかおかしな人の言動が多くていまさらながら萎え。
腹が減りすぎておかしくなっているのか、脳に栄養がいかないのか、イライラしているのか、それともなんなんだ。

カショオの人たちは、誰に誇るでもなく、詫びるでもなく、ひたすら自虐していていい。
これもこれでたいそう不健康な言い草だけれども、カショオの人たちの、口だけじゃなく体も傷つけながら傷ついているのがいい、私はそこに癒される。
夜みたく暗い昼の曇り空に、たった一筋だけ光が射しているかんじが素敵なの。自分(と、食い物)にだけ興味がむかっているのがいい。
やっぱ、ダイエッツは黙ってするべき。他人にからむべきではない。
だからカショオの子はずっと傷ついていろ、というのじゃなく、どん底までいったら這い上がり、痩せても太ってもいない健康な子になってね、と心から思っているさ!
で、自分はホバよ。

そんなことをブチブチ考えながら、もちろん今年も芝、はじめました。
労力削減のために薬を導入しているんだけど(効果抜群)
雑草の光合成のどさくさに毒を盛るシステムなので、天気のよい日が3日ぐらいは続くときをみはからって使うのが大事。
が、この3日を見定めるのがこの時期難しい。
待機して待機して待機してやっと盛ったが→夕方から思いっきり豪雨でがっくしくる。なんというセンスのなさ。
私っていつもこうよね、助走たりなくて飛べないか、助走しすぎて失速かどっちかだよね、ってなぜか自分の人格批判にまで後悔が及び超SAGE。