しょうこりもなく


アクアな情報のほぼ100%をネットにより仕入れている私。
どうして人はこんなに自慢が好きなのかと思う。
素直に羨ましいと思える話も沢山あるんだけど
なんだか読んだあとでぐったりうんざりするような話も多い。
なら読まなかったらいいんだけど。
一方、金魚を愛している人の話はためになる。
たとえば。
”金魚が病気になっても、昨日よりも今日、少しでも
改善がみられたら希望は捨てないで!”というような
アドバイス、でなく経験談とか。

私の度重なる雑な引っ越しアクションにより
琉金が臥せってしまった。
前日の夜までは普通の金魚にみえたんだけど
翌日、朝みたらば水槽の隅でしょぼくれていて
朝食にもまったく無反応。
うちの子はまんべんなく愛そうと努めている私だけど
正直なところ、特にお気に入り子というのは存在するのです。
その子の様子がおかしい!ということですっかり前後不覚に
なってしまった。
自信も実績もないので気が進まないけど
そのままにはできないので隔離塩浴スタート。

隔離しながら脳裏をかすめたのは
アクアスタート時に仕入れた愛の言葉。
「金魚はさびしんぼう
一匹だと寂しくて死んでしまうのです。」
少し悩んだけど、ずっと同じ環境で同じようなかんじに
扱われていたわけだし、片方が病気なら
相方も(そうはみえなくても)それなりに弱っている可能性はある。

思い切って、もう一匹の琉金も一緒に薬浴することに。

ホント、隔離バケツの光景というのは物悲しい。
のぞきこむたび、底にうちひしがれている様子を
見るのはいたたまれないものがあるなも!
「昨日よりも今日のプチ改善」を胸に
この数日、塩かけ婆として活動。
毎朝、起きるなりいきなりバケツにいって
「昨日よりも今日」の希望の光を探してた。
ある日思い立ち、いわゆる天然塩というのを
使ってみる。
そして手帳をみかえしてみるに
病気の金魚というのは絶食が基本だけれども
あまりにも空腹だと体力落ち杉なんじゃないか、と
そっちも心配になり。
少しだけ餌をあげることに。
チラっと餌をあげてみるが無反応。
しかたないので箸でつまんだ餌を口元までもっていってやる
というおせっかいぶりで食べさせる。
一口二口と食べるうち、興が乗ってきたのか
自力でパクパクいくようになった。よしっ。

どこらへんがアピールしたのか
翌日の金魚は希望に満ちあふれていた。
明らかに前日よりも元気。
心に星の王子様が降臨し、朗々と宣言した。
僕がこの薔薇を愛しているのは
この薔薇は僕が世話した薔薇だからだっ
僕が水をやって風をよけてやった薔薇だからだよっ
とかそういうことを・・・。
金魚飼育している日々の中で一番幸せな日だった。
もっとほかにいい金魚がいたとしても
キャッスル金魚がいっちゃん大事だぁっ。
好きだあああ。

しばらく甲斐甲斐しく世話を続行。
自分の世話もままならない私。
こんなに親切にすることはそうそうないんだぜ?
お肌ぼろぼろで、病気であることに変わりはないが
金魚が一日ごとに希望を増していく。うれしい。

んでもって今日も希望をさがしてバケツをのぞいた私。
二人とも、隔離前と別人のようにキャボキャボだ。
んでもって、メジャーリーガーのガムくちゃくちゃのように
口を動かしている。ふてぶてしく。

さて、また赤さんが産まれました。

なんだこれは。
隔離された病気子が出産した模様。
で、またモグモグやっている、と。
また役に立たない出産ケース(水槽の中に浮かべて使う)
をだしてきてとりあえずスポイトで回収できるだけ
卵を回収。
確かに。
和金の稚魚たちをみながら私は思っていた。
いつ赤くなるのかな?
そして、琉金の赤さんだったらいつ頃から
尻尾がひらひらするのかしら?
いつか見てみたいな、なんつって。
本当に産まれるなんて。
私はうちの金魚の性別を知らない。
卵が発見されたことで、少なくとも一匹はメスなんだろうと
思ったが、どっちがメスなのかわからないし
片方がオスという確証もなし。
受精しているか不明。エア出産かもしれない。
ここまで行動が唐突だと、
「私が至らないせいでこんな惨事になった」というような
グシグシした気分にならずに済んで逆に爽快である。
もう元気ならあとは好きにしておくれ。
私は成り行きまかせに流されていきます。

ノーモア涙。健康第一。