金魚地蔵

稚魚の存在があらためて不思議。
薄っぺらくて細いその体。
横からみると「線」として存在しているのに、
上からみるとたださざ波の残像のよう。
いるのにいない。いないけどいる。
哲学的な意味じゃなく、見たままの意味で言ってます。
その稚魚が、上からみても魚、横からみても魚、
正面からみても魚というかんじにしっかりしてきた。
厚みが生じた。
糸くず時代には、残念ながら☆になったらしき存在もそれほど
リアルじゃなかったが、
今は数えようとすれば数えられそうな存在になり
減ったとなると「減った」と思う。
土をいじっても水をいじっても、大それたことに
ときたま「神」の気分を味わっている私。
全能感に酔っているわけじゃなく、
どうとでもできる自分の存在を確認して戸惑っている。
しばしばそれは偶然となりゆきであり、
例えば琉金がピンチになったとき、まさしく私もちょっとしたピンチであり
「今それどころじゃないのに」とおもいつつも
隔離したり塩をいれたりしていた。
あともう少してんぱっていたら琉金は見過ごされ、☆になったのかもしれない。
私は琉金を救ったのか?
手帳を見返したら、びっくり、私は一か月近くも琉金のチアガールを
続けており、その間になんとか自分のピンチが去った模様。
あの日、琉金の様子がいつもと同じだったらこうはならなかった気がしてきた。
バケツの運搬にはテンパリを緩和させる後利益が?
魚に執着してしまいそうで怖い。
琉金が1000匹いたら、一匹の☆に泣かないですむかも、とか思う。
(エビがすでにそんなかんじ)
神様もこうやって人間を飼っているうちに数を増やしてしまった?
それとも勝手に増えた人間にうんざりして距離を置いたのか。
稚魚をなんとかいっぱしの金魚にしたいけど、可能なのか不明。
浮かんだ餌を食べるタイプの子と、沈んだ餌を食べるタイプの子は
どう違うんだろう?
性別?年齢?性格?それともその日の気分?
まだみんなスケルトンで、赤くない。